「あいつは○○をしたから、サイテーなやつだ」

○○がネガティブな事実の情報なら、その情報の真偽を問わず、これを発した人はアウトだ。名誉毀損で訴えられると言い逃れは難しい。

(ただし、名誉毀損行為だったとしても、その事実の摘示に、「公共性」「公益性」「真実相当性」の3要件がすべて満たされていれば、名誉毀損は成立しない。メディアが政治家や大手企業の不正を報じるのはその3要件を満たしているからだ)

「あいつはサイテーなやつだ」

これだけだと「事実」はない。単なる非難(意見)にすぎない。だから名誉毀損にはならない。

(ただし、非難の言葉が過ぎれば責任を問われる)

僕は職業柄、法律上のさまざまな相談を受ける。名誉毀損で訴えられた人がよく口にするのは「事実を言ったのに名誉毀損になるんですか?」という質問だ。なるのだ。それは罪にもなりえる。

そんな人の言い分はだいたいこうだ。根拠のない言いがかりをつけたわけじゃない。責せめられてしかるべき「事実」があるから非難したのだ。それのなにがいけないのか。

個々人の社会的評価は重い

──気持ちとしてはわからなくもない。

なにせ私たちは「ウソはいけない」と思って生きている。小さいころからそう教えられてきたし、後進にもそう指導しているはずだ。そして社会通念上、それはもちろん正しい。

でもだからといって、ありのままを公にさらしていいという理屈にはならない。

個々人の社会的評価というのはかくも重いのである。

繰り返すが、「公然と事実を摘示(提示)」した時点で責任を問われうる。かたや「事実」をともなわない非難(意見)は、言葉が過ぎないかぎり表現の自由だ。

名誉毀損の問題を考えるうえでなにより大切なのは、個々人が有する社会的評価の尊重だ。原則としてそれを貶める権利は誰にもない。それが名誉毀損の法解釈の原点である。

著者:橋下 徹