キャリア1組目の空中分解を経て、2組目の「Mirror,Mirror」へ。2021年夏のグループ結成後、就職活動をしていたとは驚く。

当時は大学院の2年生で、卒業後は「アイドルを本業に」と願っていた。

それでもなぜ、就職活動を“せざるをえなかった”のか。

たどってみると、その流れと心中はやや複雑だった。

「母はいつ私を認めてくれるのか」とポツリ

東大院修了を半年後に控えた、2021年夏だ。

一人娘の将来を案じたのか、雲丹の実家では「史上初の家族会議」が開かれ、母が「あんた、就職どうするの?」とつぶやいた。

厳しい両親のもとでは、アイドルとしての活動は「内緒」にするしかなかった。家族会議の空気は重く、返す言葉もない。

当時は結局、観念して「いったん就職して、行方をくらまそう」と決意したという。

しかしいざ、就職活動をしようにも「秋採用」を狙うしかなく、候補となる企業数は多くない。

そこで「東大卒、東大院卒の肩書が重宝されそうな有名企業」にしぼって「3社」だけエントリーした結果、大手銀行の内定を得た。

2022年1月には「Mirror,Mirror」がステージでお披露目されて、3月には東大院を修了。4〜7月までは、銀行員とアイドルを“兼業”した。

その後、銀行を退職直前に「ギリギリもらったボーナス」も使い、願いどおりの一人暮らしを叶えて、親元を離れた。

雲丹うに 銀行退職後に「アイドル一本で生活できるほど」の収入を得ているとは驚き(撮影:梅谷秀司)

ただ、地上波のテレビ番組にも出演する現在となっては、両親にアイドルの活動が“バレて”いないのかは気になる。

尋ねると、父は「応援」しているそう。

実は、銀行を退職した当時、雲丹の父は「もっといい生き方があるはずだ。東大へ行ったんだし」と難色を示していた。

しかし、たまたまテレビで雲丹の活躍を見た父の同僚が、父をライブに誘ってくれたのをきっかけに、今では活動を温かく見守ってくれるようになった。

ただ、「母は応援してくれているのかな……」とつぶやく。加えて「連絡を取っていないし、私の活動を見ているかも知らない」と吐露。

実家で暮らしていた当時、現在の真っ白な髪色にして「『ご近所さんに顔見せできない見た目』にするのはやめなさい」と諭されて以降、会話をした記憶は「ない」という。

母は今、何を思っているのか。察するしかできないが、雲丹は「いつになれば、私を認めてくれるのか」とポツリ。

それでも、育ててくれた感謝は心の中にずっとある