ビジネスエリートにとってリベラルアーツは必須の知識と言われている。そもそもリベラルアーツとは何か。なぜリベラルアーツが必要なのか。

3万5000部超のベストセラー『読書大全』の著者・堀内勉氏と、リベラルアーツに関する著作が多数あり、講演や企業の研修においてリベラルアーツの重要性を訴えている山口周氏が、リベラルアーツや教養をテーマに縦横に語り合う。

堀内:現在、東洋経済で「教養」をテーマにした本の執筆を進めていまして、それで、「リベラルアーツ」をテーマとした講演や著作が多数ある山口さんに、一度、話をお聞きしたいと思っていました。

山口さんの著書に『自由になるための技術 リベラルアーツ』がありますが、最初に「リベラルアーツとは何か」について、お話しいただけますでしょうか。

リベラルアーツとは何か

山口:わかりました。教養とリベラルアーツを一対一対応させてよいのかというところはありますが、リベラルアーツということでは、その狭義の定義は「自由市民のためのアート」ということだと思います。古代ギリシャ時代、労働は奴隷身分が行うことでしたので、自由市民は多くの時間を持て余していたわけです。なので、その時間を有意義に楽しむためには教養が必要ということで、それがリベラルアーツになったと言われています。

上記の本のなかで、京都大学名誉教授の中西輝政先生との対談があって、中西先生いわくリベラルアーツの対義語は何かというと「ディシプリナリー」であると。ディシプリンには「境界」という意味があって、学問はだいたいディシプリンで、つまり、限られた範囲の中で考え研究するものだというわけです。

一方で、「リベラルアーツ」は、そのディシプリンに対してリベラルであるということで、現代のように専門性が細分化・タコツボ化してきて、全体を捉えることが難しくなってきているという時代においては、リベラルアーツは領域を横断しながら全体をつかむための一つの知性でとても重要なものだと。中西先生はそのようにおっしゃっています。

それに対して、教養というと、また少し違うニュアンスがそこに入ってきて、たとえばトーマス・マンの『魔の山』が典型ですが、いわゆる教養小説と言われるものがあります。ドイツ語ではビルドゥングスロマン(Bildungsroman)と言いますが、その言葉には人格を陶冶するというようなニュアンスが入ってきます。

『魔の山』は大学出の若い主人公がサナトリウムに入って、そこで過ごす7年間を描いた物語で、その主人公が人間として成熟していくということを「ビルドゥングする」と言っています。つまり、教養という言葉には、人間として深い洞察力や倫理感、また新しい物事を正しく判断するというための思考力など、そういうものをビルドゥング(構築)していくために必要な知識やたしなみ、作法というニュアンスが含まれるのです。