そうやって広まると、必然的に「ガチャ解決ビジネス」も発達していく。配属ガチャを科学的に解明し、高度な学術理論を用いて解決しようという試みすら一部の大学では進むくらいだ。Z世代とよばれる若手社員は特にガチャに敏感で、ガチャに外れないか不安を抱えていて、ガチャのハズレは離職要因にすらなっている、という話も聞く。

安っぽくてバカらしいと言わず、ガチャ概念について真面目に考察してみよう。ガチャが成立する要件はいくつかある。まず、確率が固定されていて、介入ができないという前提。努力しても確率が変わらないのである。まあたしかに生まれる両親は選べないのだから、親ガチャと言うのもわかる。

次に、決定論的発想である。「ガチャ外れたけど楽しいよ」とか、「ガチャ当たったけど気を引き締めないと」というセリフは、あまり聞かない。ガチャに当たれば幸福で、ガチャに外れれば不幸が決定している、という前提が共有されているようだ。

この点でも、どうやら努力の意味がないらしい。努力の有無にかかわらず、当たりハズレで幸福が決定するのだから。つまりガチャとは、反努力的思想に基づく概念なのだ。

なお、「逆因果」が生じうることには注意が必要である。外れたから不幸になるのでなく、不幸な気持ちになったから外れたと感じる人がいるはずだ、ということだ。この「因果の取り違え」は学術界でもよく起きることなので、判断には慎重を要する。

何回でも引けるガチャ

さて、努力は無意味だし、ガチャで全て決められてしまう。こんなガチャを当てる方法ってあるのだろうか。単純明快かつ唯一の方法は、試行回数を稼ぐことである。確率が固定されていて介入できないにしても、何度も引けば当たるかもしれない。何回も引けるガチャなら、時間とお金が許す限り引き続ければ、いつか当たるだろう。

ただ当然ながら、親も上司も配属も何度も引けるガチャではないので、そこは困った点である。しかし、半永久的に引けるガチャがあることも紹介しておこう。ずばり「婚活ガチャ」である。