きっかけは民宿丸慶に自殺志願者が泊まりに来たことだった。その人は真冬にもかかわらず、半袖シャツを着てベンチに座っていたという。彼はしばらくして警察に連行されていったが、マサヲ少年は怖くて夜も眠れなかった。

「地元の人たちは樹海で自殺する人を悪く言わないんです。それぞれ深刻な事情があったのでしょうし、死者にムチは打ちません。

ただ僕は子どもだったのでとにかく悲しかったですね。自分の森で死なないでほしい、と怒りの感情すらわきました。

ただ、怒ってもどうしようもないですし、いつしか彼らを許すという気持ちに変わっていきました。ただ、樹海は変に誤解されている場合が多いので、常々本当の姿を伝えていきたいと思ってはいます」

青木ヶ原樹海にある看板(筆者撮影)

中学校にはバスで通った。

4地区から集まってきたが、それでも1学年につき18人と少ない生徒数だった。

マサヲさんは小学校時代、中学校時代とずっと明るい活発な少年だった。

「中学の頃、オウム真理教事件が起こり、突然上九一色村が注目されてしまいました。麻原彰晃が逮捕されるXデイには、万が一に備えて学校は休みになりました」

オウム真理教事件の間、NHKの報道陣がずっと民宿丸慶に宿泊していたという。

食事は自分たちで確保してくれていたので、宿としてはとくに何もしなくてよいのに、毎日満室でずいぶん儲かったという。

そのときの収入で、新たに増築することもできた。収入的にはうれしかったのだが、ただやはりマサヲさんも大人たちも複雑な気持ちだったという。

観光地としての上九一色村が汚されてしまった

「オウム真理教に観光地としての上九一色村が汚されてしまったという、悔しい気持ちがありました。

その後、高校の時分に上九一色村は消滅しました。その頃には『上九一色村』という名前に対して『恥ずかしい』『嫌だ』と思う気持ちも芽生えていたので、なくなってくれて少しほっとしました」

上九一色村は分断されてしまい、どこに上九一色村があったのかはすぐにはわからなくなっている。

ただ民宿村では、消火器などにいまだに『上九一色村』などと書かれていて、当時の名残を見ることができる。

わずかに残る上九一色村の跡(筆者撮影)

そしてマサヲさんは、河口湖近くにある高校へ進学する。1学年7クラス全校生徒数約1000人という小中学校に比べれば大規模な学校だった。

「当時は家の跡を継ぐこととかはまったく考えていませんでした。僕は音楽が大好きでずっとバンドをやっていて、学園祭ではコピーバンドで演奏しました。俗に言うリア充な毎日でした」

そして山梨の大学に進学し、初めて民宿村から離れて1人暮らしをすることになった。