ヤップ島の人々は、石貨を取引の都度移動するのではなく、その権利を移転していたのだと聞いたことがあるが、ビットコインでも同様のことが可能ではないか。仮に「20××年は、1ビットコイン=テスラの新車2台」というくらいの関係が安定してくれば、通貨の3機能を総合的に満たす「お金」として広く使われるようになる可能性があるのではないか。

筆者としては、市中銀行を使わずに支払い・送金・決済ができる中央銀行のデジタル通貨を早く立ち上げてほしいと思っている。ATMで小口の送金を行った時の手数料を見るたびに、強くそう思う。

一方、お金の3機能は、利用者側から見たときに前記の通りだが、現代のお金には「情報の器」とでも呼ぶべき、もう一つの機能がある。誰から誰にお金が、いつ、いくら動いたかの流れを追うことができると、情報上大きな価値がある。信用の判断にも使えるし、ビジネス上も広い利用価値がある。この情報は、かつて銀行が独占していて、銀行業の強みとなっていたが、彼らが十分利用しきらないうちに(金融商品販売などにフルに利用されると困りものなのではあるが)、彼らの手からこぼれ出ようとしているように見える。

価値をどう保蔵するか?

一方、投資家、あるいは将来に備えたい生活者の立場からすると、お金の3機能の中で重要性が大きいのは、価値の保蔵だろう。お金を持っていることが、果たして将来への備えになるか。また、どのような形で資産を持つことが、よりよい備えになるか。

こうした立場から見ると、「コロナバブル」「金余り」という状況は、お金の価値が低下する方向に力が働いているのだから、長期的には安心でない。現在は、一般消費財に対する物価は安定していて、むしろ「インフレ率が足りない」ことが問題なのだが、株式などの「資産」に対しては、お金の価値の低下が進行している。

資産家は資産価格の上昇から富を拡大し、資産家でない人々の富は拡大しないので、富の格差が広がっている。富裕層にお金が集まると、彼らは消費性向が小さいので、富の拡大の割には消費財の需要が増えないので、一般物価は上昇しにくい、という分析もある。

しかし、富の格差の拡大は「富≒お金=人を動かす力」の格差が広がるということなので、富裕でない庶民の不満は相当に高まっているはずだ。お金持ちあるいは経済学者が「庶民は必要な消費財が買えないほど貧乏ではないので、不満はあるまい」と理解しているとすれば、それは間違いだろう。

では、庶民の側はどうするか。通貨も、株式も、債券も、金も、暗号資産も、不動産も、どれも「絶対に大丈夫」と言えるものはない。大まかに言うと、複数の資産に分散して財産を持っておくといいのだが、「価格形成時にリスクプレミアムが含まれる資産」(主に株式)が有利で、同時に資産の流動性(換金性)を意識しておくといい、といったあたりが一般論になる。

内外の株式への幅広い分散投資と、安全性があって使い勝手のいい現金性の金融資産とを持って、じっとしているのがいいだろう(本編はここで終了です。次ページは競馬好きの筆者が週末のレースを予想するコーナーです。あらかじめご了承ください)。