現実世界の直感的理解に鋭い感性を持つケインズは、次第に古典派経済学がなぜ不況に対応できないのか、その理由を理解していく。

「現実の経済(需要と供給のメカニズム)は、古典派が想定する姿を必ずしもしていないのではないか。もしそうだとすれば、前提が異なるならば見立ても異なるはずだ」

そう確信して古典派経済学の理論の不備を修正し、不況への処方箋を示したのがケインズの『雇用、利子、お金の一般理論』であった。

刊行の前からすでにケインズは折りに触れて、古典派の「なすに任せよ」「悪いところが自然に改まれば、経済は自然に回復する」というアドバイスに関して苦言を呈している。

「動かなくなったエンジンの丸ごとを変えなくても、点火プラグを取り替えるだけで事足りるのではないか」(いわゆる“マグネトー“の問題だ、という論点)

そして、満を持して、雇用と金利とマネーに関する自身の包括的な理論を不況下の世に問うたのである(1936年)。

経済学の一つの原理、二つの視点

経済学は「需要と供給」の科学である、といえば経済学部以外の方にもわかりやすいだろうか。

「需要=供給」のメカニズムこそが経済学が考える経済原理の中心的なものであり、市場による価格と量の均衡によって私たちの社会の資源が適正に分配され、結果としてより豊かな社会に私たちが暮らすことができる。

これに関しては、現在どのような学派であっても基本的に同意するところの根本的な原理である。

古典派はその研究に関して数理的に最も洗練された理論体系を持っていたが、「供給されたものは(価格調整を通じて)いずれ必ず売れる」という前提を置いていた(セイの法則)。

売れないということは価格が高い、あるいは量が多すぎるからであって、価格が十分に安く、また供給量が調整されれば最終的には必ず売れるのであり、それは市場が自然に行ってくれる。それがもしうまくいかないならば、市場(≒経済)が自由でなく歪んでいるのであって、できるだけ作為的な仕掛けを排したほうがいい、という考えを基本に据えている。

モノの売買と同様に、労働力に関してもそれは適用され、失業がもし問題になったとすれば、賃金が安くなること、あるいは人手が足りないところに人が移動することで調整される。それがうまくいかないとすれば、自由市場がきちんと機能するようにすべきで、そのうえで経済もそれに対応できるように変わらなければいけない。基本的にそのように考えられていた。

市場の「神の見えざる手」という表現はよく使われるが、自然に最高の調和が現れるという意味で、まさに古典派経済学にとっては神聖で美しい、侵すべからざる原理だといえばその重要性が理解しやすいだろうか。