2020年7月、JR東日本が進める品川開発プロジェクトの計画エリア内から、1872年に新橋・横浜間で開業した日本初の鉄道を海上に通すため、現在の田町駅付近から品川駅付近まで約2.7kmにわたって築かれた「高輪築堤」の一部(約800m)が出土した。

一部保存のうえ開発を進めるのか、全面保存を前提に開発計画を見直すべきか、日本の鉄道のルーツそのものといえる遺構を巡って議論が巻き起こった。JR東日本は4月21日、一部を現地保存するとの方針を表明したが、日本考古学協会は同日、「築堤跡を活かした抜本的な計画見直し」を求める辻秀人会長のコメントを発表。意見の隔たりはなお大きい。

そもそも、世界有数の鉄道大国として知られる日本において、高輪築堤はいかなる価値を持つ遺構なのだろうか。

「高輪築堤」ができるまで

その意義を理解するためには、日本人と鉄道の出会いから振り返る必要があるだろう。

前述のように、日本で初めての鉄道は明治の成立から5年後、1872年に東京・新橋と東京の玄関口である貿易港・横浜の間に開業した。しかし、日本人がそれまで鉄道のことをまったく知らなかったというわけではない。

世界初の鉄道が開業したのは日本の鉄道開業からさかのぼること約半世紀。1825年にイギリスのストックトン・アンド・ダーリントン鉄道とその支線、計44.3kmが開業している。1830年にはフランス、1831年にはアメリカで鉄道が開業し、産業革命を加速させていった。

国鉄が鉄道開業100周年を記念して編纂した『日本国有鉄道百年史』によれば、西洋諸国やその植民地で鉄道が建設されているという情報は、長崎オランダ商館の風説書(海外情報の解説書)を通じて江戸幕府にも入っていたそうで、例えば1846年の別段風説書はフランスがパナマ地峡に鉄道を建設する計画を持ち、その建設費が1100万フランであると伝えている。