2021年春のダイヤ改正で、JR貨物のDD51形ディーゼル機関車が定期運用から引退した。近年は鉄道ファンの間で人気沸騰となったこの機関車だが、蒸気機関車を引退に追いやった当時を知る筆者から見ると、DD51がファンの間でもてはやされているのはまさに隔世の感がある。

北海道のSLが全廃されてから間もない1976年の秋、筆者はかつてSLが多数所属した苫小牧の機関区に向かった。函館・室蘭本線で活躍したD51形やC62形、D52形を全廃に追いやった「にっくきDD51」をある雑誌用に特写するためだった。内心複雑なものがあったが、当時の国鉄当局の協力もあってDD51形1000番台の表紙用写真を撮り終えた。

この写真が表紙を飾ったのは、月刊鉄道グラフ誌『レールガイ』1976年12月号の創刊号だった。当時初めてDD51形が本格的に取り上げられた記念すべき鉄道雑誌だった。蒸機を追いやったことで当時は鉄道ファンに嫌われていたはずの機関車だったが、どういうわけかDD51特集は好評だった。思えば現在のDD51ブームの先取りともいうべき先見の明があったのでは、と思える特集号だった。

SLに代わって台頭したDL

日本におけるディーゼル機関車(DL)の歴史は戦前にさかのぼる。国鉄(当時は鉄道省)での国産DLの始まりは1932年に製造された入換用の小型機DB10形で、1935年にはドイツからの輸入車の研究成果を基にDD10形を1両製造した。しかし、いずれも技術的に未熟で故障が多く、本格的な始まりは戦後の1953年に登場したDD50形だった。

DD50形は日本初の幹線用ディーゼル機関車である。エンジンによって発電し、モーターを回す「電気式」で、運転台は片側にしかなく、基本的に2両背中合わせで使用された。特徴的なのは前面形状で、当時最新鋭だった国鉄80系電車とよく似た2枚窓のいわゆる「湘南形」で、その姿から「海坊主」なるあだ名があった。