「美術の歴史はイノベーションの宝庫である」──多摩美術大学教授の西岡文彦氏はそう明言します。名画・名作が今日評されるのは、作品を売りたい画家や画商、そして芸術を利用しようとした政治家や商人たちの「作為(イノベーション)」の結果といいます。いったいどのような作為があったのでしょうか──。

ビジネス戦略と美術の密接な関係に光を当てた西岡氏の新著『ビジネス戦略から読む美術史』の一部を抜粋・再編集してお届けします。

風景画も静物画も「苦肉の策」で生まれた

美術史は、ビジネス戦略の歴史である。

そもそも、生活必需品ではない美術品を売るには、高度な戦略が必要である。ガラクタ呼ばわりされた印象派の、金ピカ額縁と猫足家具による「価値爆上げ」戦略や、名画『夜警』をモデルたちの割り勘で描いたレンブラントのビジネス感覚。

はたまた「インスタ映え」を思わせるナポレオンの自己演出、19世紀の当時の「インフルエンサー」だった批評家による画家のブランディングなどなどの歴史を眺めていると、美術品を売る戦略をもってすれば、この世に売れない商品などは存在しないような気さえしてくる。

ピンチはチャンスである、とはよくいわれるが、今日の絵画市場は、美術史上で画家やパトロンが直面した幾多のピンチを、そうした戦略によってチャンスとしたことで形成されている。名作・名画が現在そう評されているのは、作品を売りたい画家や画商、そして芸術を利用しようとした政治家や商人たちの「作為」があってのことだ。

作為とは、別の言い方をすれば「イノベーション」である。もしこうしたイノベーションがなければ、フェルメール(1632〜1675)は『真珠の耳飾りの少女』や『牛乳を注ぐ女』といった名画を描いてはいなかったであろう。モネも代表作『睡蓮』を描いていなかったであろうし、日本人が58億円で落札して世界中を驚かせたゴッホの『ひまわり』も描かれていなかったかも知れない。

フェルメールのように無名の少女や家政婦を主人公にした絵は、宗教改革が宗教絵画を禁止したことを機に描かれ始めた。モネが得意とした風景画や、ゴッホがひまわりを描いた静物画も、その時期に人気を呼んだ新種の絵画だった。

驚くべきことに、17世紀のネーデルラント(現在のオランダ、ベルギー、ルクセンブルクなどにまたがるエリア)でそれが誕生するまで、ヨーロッパには風景画も静物画も存在していなかった。

これらの絵画は、教会という大スポンサーを失った画家達が、生活のために市民顧客に売れる絵を描き始めた結果として生まれたのである。ついでに言えば、店頭での展示販売に際してほかの画家との差別化のために「個性」というものが要求され始めたのもこのときからであった。