読売新聞で大蔵(財務)省などを担当したジャーナリスト・岸宣仁氏による著書『財務省の「ワル」』は、日本を牛耳ってきた財務省で出世する男たち(=ワル)を分析・活写した一冊だ。事務次官によるセクハラ、国税庁長官による公文書改ざんという不祥事の引き金はいかにして引かれたのか。著書の一部を紹介しながら見ていこう(文中敬称略)。

「ワル=悪人」ではない

財務省の中で「あの人はワルだから」と言った場合、いわゆる「悪人」を指しているわけではない。むしろ、「できる男」「やり手」といったニュアンスで、一種の尊称として使われてきたのだ。

あえてビアスの『悪魔の辞典』風に説明すれば、財務省用語の「ワル」は次のように定義できるかもしれない。

「湧き出るアイデアを手品のようにちらつかせながら、人たらしの本性そのままに清濁併せのむ泥くささをもって相手を説き伏せ、知らず知らずのうちに政策を実現させてしまうずる賢さ」

そうした芸当ができるのは、単なる青白き学校秀才では難しい。「勉強もできるが、遊びも人並み以上にできる」タイプが求められる。

省内に巣くうワルの文化に、外から激しい批判の嵐が吹き荒れたことがある。官々接待のあり方が厳しく問われた1979年の公費天国キャンペーン、民間金融機関からの過剰接待により112人の大量処分を出した1998年の大蔵省不祥事は、いずれも同省の屋台骨を揺るがす大事件であった。

そして2018年、福田淳一元事務次官〔1982年入省〕のセクハラ疑惑、佐川宣寿元国税庁長官〔1982年入省〕の公文書改ざんと、同期の出世頭2人が1カ月余の間に相次いで辞職に追い込まれたのは記憶に新しい。

それぞれの出来事が起きた年を追うと、ほぼ20年ごとにスキャンダルが勃発している。その度に組織にメスが入ってもなお、ワルの文化は隠花植物のように財務省の地下茎で根を張っていたと言っていい。