コロナ後(それは新たな「コロナ」の出現も意味する)の世界を考えると、人類は、おそらくさまざまな場面やレベルで地球規模の脅威やリスクにダイナミックに対応しなくてはいけない。

コロナ対策やコロナに影響を受けたイベントなどで経験した失敗(ここにも無明の失敗もあるが、狙いどおりに実現しなかった輝かしい失敗もある)を、将来に向けて、創造的に生かす、実践として生かす必要がある。

新型コロナ感染対策においては、「失敗」をどう考えればよいだろうか。一連の各国の対策としての究極の目的は、「死者を出さずに」感染制御と経済活動を両立させるということだった。

ここにも、失敗1と失敗2が混在していた。前者は、はっきりとした目的や科学的データもなく、目先の対応策(もぐらたたき)だけに終始し、しばらくすると、それらの手段が無意味化して見えてしまったような対策だ。

一方で後者は、過去の失敗から学んで、つまり科学的データ(PCR検査)などを踏まえて大規模検査・接種の体制を整えて最終的に成果が確認できる状態にした、といったタイプの対策だ(先進国の中でも、日本は遅きに失したが)。

さまざまな兆候から、学び、自らを強化することが重要だ

過去の輝かしい失敗に学んで事を進めることが望ましいが、次に大事なのは、プロジェクトが終了する前や、その途中で学ぶことだ。

失敗1の厄介な性格は、「事が終わってからでないと、成功か失敗かは判断できないではないか!」という態度だ。これゆえに最後まで突き進んでしまうのだ。この隘路から抜け出すためには? もしやむなく成果が出ないような場合でも、その状況を共有しようではないか。

そこで重要なのが、仮説的推論(アブダクション)だ。これは単なる仮定思考(もしもこれが起きたら、を想定して論理分析的に考えること)ではない。大きな目的と現場での状況の双方をにらみながら、ダイナミックに、そして小刻みに仮説を生み出し、施策をアイディア化、モデル化、実践していくことである。

そして、そのためには、これらを綜合していく「輝かしい失敗」のための場とプロセスが大事になる。失敗について「失敗談」を語るのでなく、失敗の要因やパターンを共有し、リ・デザインするための対話、理解のための方法を示すことが出発点になる。

著者:紺野 登