山陰合同銀行が挑んだのは、これに類するようなモデルチェンジである。具体的に言えば、山陰合同銀行、その証券子会社である「ごうぎん証券」が有する顧客口座を野村証券の専用口座に移管する。同時に、同銀行の投信販売などの預かり資産業務部門、ごうぎん証券、さらに野村証券の松江支店、米子支店の機能を統合して、同銀行が新設した「アセットコンサルティング部」を中心とした運営に一本化させる。

地銀の証券業務に関して、これほどスケールが大きいビジネスモデルの刷新は過去にはなかった。もちろん、支店機能、人材などを事実上、その地域の銀行のプラットフォームに移すということは野村証券のみならず、証券業界としても初の挑戦である。

したがって、このニューモデルが発表されるや、メディアなどはそのエッセンスを消化しきれなかった面もある。しかし、山陰合同銀行は、明確なビジョンを描いたうえでの決断だった。

このモデルは2020年9月23日に開始した。それから9カ月あまりが経過した時点で、山崎徹・山陰合同銀行頭取はその狙いを明確に説明する。

「目的は2つだった。地元の顧客に品質の良い証券サービスを提供することと、そのビジネスモデルを持続可能なものとして成立させること」

証券業務に限らず、地銀が追求するエッセンスのすべてが凝縮された言葉と言える。

なにしろ、地銀の最大の価値は地域からの信頼である。それを守るためには、高品質のサービスを提供して、地域の顧客の満足度を維持・向上していかなければならない。と同時に、企業としては、その取り組みを継続できるような、安定的に収益を生み出せるモデルでなければならない。

いかにサービスレベルが高品質であっても、収益貢献がなく、あるいは、貢献することがあってもきわめて不安定であるとすれば、事業規模を縮小したり、場合によっては断念せざるをえなくなったりするかもしれない。

銀行業界に根強かった「総合採算」という発想

かつて、銀行業界では「総合採算」という発想が根強かった。これは取引先ごとにもそうだったが、銀行全体でも個々の取引の生産性に頓着せずに「総合的採算が取れればよい」という牧歌的な考え方があった。それだけ銀行には余裕があったのだが、いまや、時代は大きく変わって、収益基盤のベースである貸出は伸び悩み、預貸金利ザヤも悪化の一途にある。

さらにいえば、日銀がマイナス金利政策に及ぶ超低金利政策に踏み切る以前には、預金流入額が貸し出しの増加額を大きく上回ったとしても、その超過部分は銀行間の資金貸借市場であるインターバンク市場に放出して運用すれば一定の収益を生み出すことができた。流動メリットと呼ぶものだったが、いまや、長きにわたってインターバンク市場も金利が圧し潰され、流動メリットは失われている。

地方経済の悪化もさることながら、これは地銀にとって過去に前例のない厳しい経営環境である。そうしたなかで、総合採算的な発想はいつの間にか消えて、銀行は部門ごとにきちんと収益を稼ぎ出す必要性が増した。

山陰合同銀行が預かり資産業務と呼ぶ証券ビジネスもそうである。すでに地銀業界では、証券業務を本業の1つと位置付けている。山陰合同銀行もその立場から、2015年には、証券子会社であるごうぎん証券を設立して事業基盤を拡大していた。銀行本体によるビジネスと子会社との二枚看板の態勢である。