金融商品仲介業は2003年、当時の証券取引法(現在、金融商品取引法)改正で制度が作られ、翌2004年に法施行とともに誕生した。

一定の条件を満たして国に登録すると、証券会社との提携によって、投信などの証券商品の仲介ができる。仲介で販売した収益は提携証券会社と分け合うことになるものの、事業に必要な一連のシステムなどのインフラは、提携した証券会社のそれを活用でき、業務運営コストは飛躍的に軽減される。

その仕組みをベースにして、同銀行の証券顧客口座、ごうぎん証券の顧客口座だけではなく、野村証券の松江、米子支店のリテール顧客口座も同銀行が業務運営するセクションに一本化させ、かつ、野村証券の金融商品仲介口座に移管して口座管理を外出しする。つまり、システム、管理業務などのコストが発生するバックオフィス業務の大半は野村が担う。

これによって業務運営上の桎梏から解放されて、赤字体質からの脱却による持続可能なビジネスへと変わる。同時に営業現場が歪むような販売力強化を回避し、顧客ニーズに応えるという高品質の証券サービスを貫くことができる。まさに二兎を同時に追える基盤が整うことになる。

「ルビコン川を渡った」と言ってもいいほどの決断

ところが、銀行内では異論も出たと言う。

「長年培ってきた顧客を大切にする社風がアライアンスモデルでは損なわれるのではないか」といった慎重論も出たし、提携モデルでは同銀行から一切のシステムがなくなってしまうことに対する懸念も議論された。

確かに、システムを全廃するというのは「ルビコン川を渡ったと言ってもいいほどの決断であり、逆戻りは効かない」と山崎氏も語る。

しかも、地域銀行、なかでも山陰合同銀行のような有力地銀は地域のトップバンクであるだけに、銀行としての装備はきちんとそろえるべきという発想が根強い。自身が金融商品仲介者になって、管理口座を野村に外出しするというモデルには拒絶感が芽生えやすい。それを乗り越えるために相当のエネルギーを要しただろうことは容易に想像できる。

いま、山陰合同銀行が得たものは少なくない。第一に、目指した通りに提携モデルのビジネスを開始して以後、預かり資産ビジネスはようやく、赤字体質を脱却できた。

加えて、野村からは松江支店、米子支店などの社員約90人が出向形態で業務に従事している。提携前は同銀行職員だけで360名の体制だったが、いまは210人の同銀行職員と野村の90人による300人体制である。つまり、150名の職員は法人向け融資などへの戦略的な再配置ができた。

「出向者と当行職員との融合は予想以上にスムーズに進んでいる。出向社員には、スキルで見劣りする当行職員がスキルアップするような指導を日常的にやってもらっている。また、野村が有する様々な営業ツールも提供されているし、私たちが単独ではできなかったマーケット分析も提供してもらっている」

そうしたメリットを得ながら、顧客と接するフロントはきっちりと山陰合同銀行がグリップしている。したがって、顧客から見えるのは、あくまでも地元銀行の「ごうぎん」が提供する地銀ならではのサービスである。