惨事は、それが見舞う社会や国家の正体を暴き出しもする。それは試練の時であり、事実が明らかになる瞬間であり、どの社会や国家が脆弱で、どれが回復力(レジリエンス)に富み、どれが「反脆弱」、すなわち、惨事に持ちこたえるだけでなくそれによって強化もされるかが暴露される。

アメリカとイギリスでの新型コロナ体験はこれまでのところ多くの面で、それぞれ異なる意味でではあるが奇妙な敗北であり、いつ起こってもおかしくないことが以前からずっとわかっていた惨事に対する適切な備えをしていなかった、政府の桁外れの失敗としか考えようがない。

この失敗を、ほぼ全面的にポピュリズム(大衆迎合主義)の傲慢のせいにしてしまったら、安直だろう。

死亡者数が平年を上回る超過死亡の割合で比べれば、ベルギーは、仮にもっと悪くはなくても、同じぐらいひどかったが、2020年の大半を通してこの国の首相を務めたのが、リベラルな女性のソフィー・ウィルメスだったのだから。

他よりもはるかにうまくカタストロフィに対応する社会や国家があるのは、どうしたわけか? 一部の社会や国は崩壊し、大半は持ちこたえ、うまく乗り切って強さを増すものも少数ながらあるのはなぜか? どうして政治がカタストロフィを招くことがあるのか? 重大な疑問ではあるが、その答えは明白には程遠い。

歴史は予測可能なのか?

もし惨事が予測可能でさえあったなら、私たちの暮らしはどれほどわかりやすいものになることだろう!

著述家は何世紀にもわたって、宗教、人口動態、世代、金融などのさまざまな周期説を使い、歴史の過程から予測可能性を引き出そうとしてきた。
しかし、次の災難を予想するうえで、そして、仮にそれを避けられないとしてもせめて緩和するうえで、それらの周期説は、たいして役に立たない。