岸田首相が8月10日に行う電撃的な「人事」決断が政界を驚かせている。非業の死を遂げた故安倍晋三元首相の“喪中”の人事断行でもあり、麻生太郎副総裁ら党最高幹部にも直前に伝えるという荒業だったからだ。

ただ、周辺からは「当初から『すべて俺が決める』との“ニュー岸田”への大変身を狙っていた」(官邸筋)との声も漏れてくる。岸田首相自身も広島での6日の記者会見で「新しい体制を早くスタートさせたいと常々思っていた」とそれを裏付けた。

そもそも参院選での自民大勝が確実となった選挙戦終盤の段階で、岸田首相と側近らは極秘裏に、早期改造断行を念頭に日程調整を進めていた。参考にしたのは曜日も今回とまったく同じだった安倍政権下の2016年参院選後の政治日程だった。

当時の安倍政権は、7月10日の投開票を受け8月1日に会期3日間の臨時国会を召集。安倍首相は同1日の衆参両院での院の構成や継続審査の手続き終了を受けて直ちに改造人事に着手。同国会の会期が終わる3日に党・内閣の新体制を発足させた。

極秘に決めた人事の方針

ただ今回は、岸田首相が早くから7月31日に訪米し、8月1日にニューヨークで開幕する核拡散防止条約(NPT)再検討会議に出席して、「核兵器のない世界」へ核軍縮・不拡散に取り組むよう訴える演説をする日程を決めていた。このため、臨時国会は8月3日召集となり、岸田首相は8月4日の人事断行を模索したが、与野党折衝で8月5日に衆参両院で故安倍氏の追悼行事が組み込まれたため断念した。

そこで浮上したのが8月6日と9日の広島、長崎原爆忌の行事の直後の10日の人事断行。岸田首相は5日の臨時国会閉幕を受けた同日夕、8日夕に臨時役員会・総務会を開催して人事に着手する方針を決め、党執行部と山口那津男公明党代表に伝えた。

この方針は岸田首相周辺だけで極秘に決め、党執行部や公明への連絡は直前となった。このため双方が「突然の人事断行では与党内が混乱する」などと反発したが、岸田首相は「すでに決めたこと」と押し切った。