グローバル化の問題点は「新しい階級闘争」を生み出した。新自由主義改革がもたらした経済格差の拡大、政治的な国民の分断、ポリティカル・コレクトネスやキャンセルカルチャーの暴走である。

アメリカの政治学者マイケル・リンド氏は、このたび邦訳された『新しい階級闘争:大都市エリートから民主主義を守る』で、各国でグローバル企業や投資家(オーバークラス)と庶民層の間で政治的影響力の差が生じてしまったことがその要因だと指摘している。

中野剛志(評論家)、佐藤健志(評論家・作家)、施光恒(九州大学大学院教授)、古川雄嗣(北海道教育大学旭川校准教授)など、気鋭の論客の各氏が読み解き、議論する「令和の新教養」シリーズに、今回は井上弘貴氏(神戸大学大学院教授)も参加し、同書をめぐって徹底討議する。今回はその後編をお届けする(前編はこちら)。

民主主義が機能するための条件

古川:民主主義が機能するためには、多様な集団が意見を主張し合う多元主義が必要で、そのためには中間団体の再生こそが不可欠だというのがリンドの主張です。中間団体とは、国家と個人との中間に存在するさまざまな共同体のことで、地域のコミュニティや労働組合、農協や漁協などの職業団体、教会などの宗教団体がそれに当たります。

リベラルな社会、つまり自由で民主的な社会が成り立つためには、その条件として、自律的な中間団体が多様に存在することこそが必要だ、という主張は最近よく見られます。それだけ危機感が高まっているのでしょう。たとえば、パトリック・J・デニーンの『リベラリズムはなぜ失敗したのか』(2018年、邦訳2019年)もそうです。

デニーンは、リベラリズムというイデオロギーこそが、むしろリベラルな社会の前提条件を切り崩してきたのだと批判していますが、その最たるものが中間団体です。中間団体は本来、国家と個人との間に挟み込まれたクッションのようなもので、それによって、個人は国家の専制的な権力から守られますし、自分の意見を政治に反映することもできます。

それがなくなってしまうと、個人は寄る辺を失って国家に依存し、従属するほかなくなります。そこに到来するのが全体主義です。