ローカル鉄道の廃止反対理由として、「鉄道がなくなると町がさびれてしまう」としばしば述べられる。しかし現実には鉄道の乗客が高齢者と高校生だけとなり、利用客数が極端に減少してしまったからこそ廃止論議が起こる。消えた鉄道の沿線地域と、鉄道を代替した公共交通機関は今、どうなっているのか。今回は県庁所在地の郊外路線として活用されなかった名鉄揖斐・谷汲線沿線の「今」を取り上げる。
LRT(Light Rail Transit)の概念は、1970年代にアメリカ合衆国で生まれ、ヨーロッパでも普及。日本では、富山ライトレールの計画が具体化した2000年頃から一般化したと見られる。
明確な定義はないが、乗降が容易な超低床式電車(LRV)を用い、都心部では路面や場合によっては高架、地下線。郊外に出ると専用軌道を走り高速運転を行う交通システムを主に指す。単にLRVを導入するだけではなく、ハード、ソフトとも総合的な改良が必要で、それゆえに「街づくり」の基軸として整備されれば効果は大きい。
LRTに成長できる条件を備えていた?
21世紀に入ってから誕生したわけでもなく、例えば広島電鉄の市内線と宮島線など、LRTに類する鉄道は古くよりいくつも存在していた。名古屋鉄道(名鉄)の岐阜市内線と揖斐・谷汲線も同様で、岐阜市中心部まで急行を直通させ、利用客獲得に努めていた。揖斐線忠節―本揖斐間18.3kmの全通は1928年。谷汲線黒野―谷汲間11.2kmは1926年に開業している。岐阜市内線との直通は1967年から始まった。
しかし、経営状況の悪化から、揖斐線の黒野―本揖斐間と谷汲線が2001年10月1日に廃止。揖斐線の残存区間と岐阜市内線も2005年4月1日に全廃された。もし、残っていれば、人口約40万人の岐阜市とその周辺地域において、LRTへの進化が期待できた路線であった。ちなみにLRT網の整備を進めている富山市の人口も約40万人である。
名鉄谷汲線の終点だった谷汲駅はほぼそのまま保存されている(筆者撮影)