寛平さんはその人たちにいちいち手を上げて声援に応える。この手を上げる動作が実はなかなか大変で、走っているだけでもへとへとになっているのに、応援しにきてくれた人に手を上げて応えるのは疲れも倍増する。スタッフは心配して寛平さんにもう応えなくてもいいですよと言うのだが、寛平さんはいつまでも続ける。

その人たちに加えて、苗場から武道館までの道中の新潟、群馬、埼玉で、暴走族がどんどん集まってきた。そして寛平さんの周りで一緒に走った。

土曜日の夜は暴走族のかき入れ時だ。そこに寛平さんという絶好の鴨が走ってきた。テレビカメラもずっと追いかけている。暴走族にとっては見せ場である。いや、応援してくれてはいるのだが、ブオンブオンとエンジンをふかして付いて走られるのはきつかった。

寛平さんはしまいにバイクや車の排気ガスにやられた。それで154キロであえなくリタイア。

翌年の再チャレンジはこれに懲りて奥多摩からスタートして、経路を発表せず、走っている映像もディレイ(30分遅れ、1時間遅れで放送する)だったので、テレビを見て人がやってきたときには寛平さんはとっくに走り去ったあとだった。

それで見事ゴールの武道館に到着した。

司会に返事をせず、スタッフを探していた

われわれスタッフは武道館に入ったところで寛平さんから離れ、寛平さんがゴールするのを客席で見届けた。

会場にいる人、舞台にいるタレントの面々もすべて感動している。みんなが200キロを走り終えゴールした寛平さんを讃え、何を話してくれるのかと待ち構えている。

司会の徳光さんが寛平さんにインタビューしようとするのだが、寛平さんは返事もろくろくせずに会場を見回していた。何かを、誰かを探しているようだった。何をしているのだろうかと思っていると、寛平さんと目が合った。

その瞬間、寛平さんの顔が輝いた。ぼくを見つけ、その口が「谷やん!」と動いた。その目は「なんでそんなところにいるんや、こっちに上がって来いや」と言っているようだった。

周りにいた他のスタッフも見つけ、寛平さんは満面の笑みを浮かべて喜んでいる。ぼくらを探していたのだ。