新興感染症の流行と相次ぐ異常気象。生態系への介入が引き起こす「自然の逆襲」が加速化している。私たちは自然とどのように付き合えばよいのか? 「知の巨人」立花隆氏は、デビュー作の中で「自然と折り合いをつけるために我々が学ぶべきものは、生態学(エコロジー)の思考技術だ」と投げかけている――。立花隆著『新装版 思考の技術』の一部を、再編集しお届けする。

エコロジーとは何か。本稿では、「善悪」の問題を通して考えてみたい。善悪とは、別に倫理学の命題ではない。原理的に善とは何ぞや、悪とは何ぞやということを問題にしようというのでもない。

自然界において、われわれが悪と呼び、善と呼んでいるものは、よく考えてみれば、たいへん恣意的な善悪でしかないということをいいたいのである。

自然はあるがままにある。全体としての自然の中には善も悪もない。自然の一部を切り取ってきて、そこに一つの座標軸をはめ込む。善悪が生じてくるのは、その後である。

人間は、人間に対して害を及ぼすものを悪と呼んでいる。むろん、人間は人間として生きつづけねばならないのだから、それは当然といえば当然である。しかし、問題なのは、何が人間に対して害を及ぼし、何が益をもたらすかを考察するときに、考察の範囲をあまりに狭く限定してしまっていることだ。

害虫側からは人間はどう映るのか

害虫ということばがある。人間に不快を及ぼす。人間の食物を食べてしまう。家畜、農作物の成長を阻害する。こういった生物は害虫であるといわれる。人間のためには害虫は有害無益の存在と考えられ、そこに害虫撲滅の思想が生まれる。

ここで座標軸を人間の側から、害虫と呼ばれる生物の側に移して考えてみたらどうだろう。たちまち人間こそが"害獣"であるということになるだろう。

自然にとっては、どちらも片寄った見方でしかない。人間と"害虫"との間の闘争は、自然を構成している無数の闘争の一つの形態にすぎない。自然はそうした闘争の限りない拮抗の上に成立している。

そして、人間存在は自然の存在を前提にしているのであるから、巨視的に考えれば、害虫もまた人間に役立っているのである。