「あと10年働けたら幸運」と医者に言われてから30年、マイケル・J・フォックスが、俳優を引退する。パーキンソン病と診断されて以来の30年間、フォックスは、80年代末から90年代にかけての黄金時代ほどではないものの、主にテレビで数々の役に挑戦してきた。その間、エミー賞にも8回ノミネートされ、受賞も一度している。

しかし、最近はまた病状が悪化し、記憶力の低下、幻想、認知症の兆候が見られるようになった。双子の娘を見てどちらがどちらかわからなくなったり、もう車の運転はしないのに車の鍵を探したりして、潮時だと思ったのだそうだ。

今月出版された4冊目の著書『No Time Like the Future: An Optimist Considers Mortality』で、フォックスは、「何事にも終わりがある。12時間仕事をし、7ページ分のセリフを覚える僕の日々は終わった」と述べている。

フォックスを苦しめる「パーキンソン病」

フォックスがパーキンソン病を抱えていることを公にしたのは1998年。だが、本人が初めて体の異常に気づいたのは、『ドク・ハリウッド』(1991)を撮影していた29歳のときだ。小指がピクピクと痙攣しだしたのが、最初の兆候だったという。

当時の彼は、ハリウッドで最も勢いに乗っていた若手スター。テレビ番組『ファミリータイズ』(1982-1989)でブレイクし、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』3部作(1985-1990)、『摩天楼はバラ色に』(1987)、『再会の街/ブライトライツ・ビッグシティ』(1988)、『カジュアリティーズ』(1989)など、毎年ヒット映画に主演する大の売れっ子だった。

この頃、日本でホンダ・インテグラのCMにも出ている。私生活でも、『ファミリータイズ』で共演したトレイシー・ポーランと結婚し、長男が生まれたばかりだった。

キャリアの絶頂期に完治が難しいパーキンソン病を宣告をされ、彼は絶望し、浴びるように酒を飲むようになる。しかし、そんな内面の葛藤と病気のことを隠しつつ、『バラ色の選択』(1993)や『アメリカン・プレジデント』(1995)などの映画に出演し続けた。1996年からは、テレビ番組『スピン・シティ』に主演。病気のことを公にしたのは、この番組が人気を集める真っ最中だ。彼はまた、パーキンソン病の研究を推奨し、治療法を見つけるため、ザ・マイケル・J・フォックス基金を設立。翌1999年には、上院予算委員会に出席した。