おいらは人を観察するのは好きですが、「人恋しい」になったことはありません。わりと引きこもっていてもぜんぜん楽しいタイプです。人に好かれたいという欲望を持っていたとしたら、そんなふうにならないと思うので、「人に好かれたい」が強い人は大変なんだろうなと思います。

ひとりが当たり前

子どもの頃、ずっとひとりで遊んでいたのですよ、おいら。そのときに基本的な人格が形成されてしまった気がします。遊び相手がいなくても、自分ひとりで好きに遊べる時間があれば楽しく暮らせるということが、もう子どもの頃に身についてしまったわけです。たとえばお兄ちゃんがいる人は、わりとお兄ちゃんについていってお兄ちゃんに言われた遊びをします。つまり、人間関係が成立したうえで遊びも成立するのですが、おいらには姉がいたのですが、そうしたことがありませんでした。

なので、周りに人がいなくても特に困らない「ひとりが当たり前」という感覚が、子どもの頃からずっと続いているのでしょうね。一人っ子とか長子というのは、遊び相手がいない状態がスタートです。それでだいたい世界観を形成するはずなので、たぶんおいらと同じような感じになると思うのですがね。

それに対して次子というのは、何かの遊びをほかの人から提供されるのが当たり前だと思っている感じです。

おいらの周りでは、友だち同士で暇なときに「じゃあ、こんな遊びしようか」という暇つぶしの遊びの提案をしてくる中の長男率が、めちゃくちゃ高いのです。つまり、長男は子どもの頃から一人遊びをせざるをえなかったので、何かしらの暇つぶしの遊びとかゲームとか、自分なりの楽しみ方を自分で探すということに慣れているというわけです。

もちろん、親が過干渉だった一人っ子とかはまた別だと思います。おいらの親は「完全放置」だったので、こんな世界観になったのかもしれません。

ちょっと逆を考えてみましょうか。万人に好かれようと思ってもなかなかそうならないように、万人に嫌われようとして生きても、人間はなかなか全員に嫌われることはできないはずです。おそらくどんな凶悪犯にも「味方」はいるでしょう。

要するに、「人に好かれたい」とか特に意識しなくても普通に暮らしていれば、それなりに人との接点や仲間は必ず出てくるものなのですよ。

ただ、「絶対この人に好かれなければならん」みたいな、特定の人との関係にゴールを決めると、とたんに難しくなると思います。たとえば「安室奈美恵と結婚したい」とか無理じゃないですか。なので、「この人じゃなきゃダメ」ではなくて、「この人がダメだったら、次で。次がダメだったら、その次で……」みたいに、どんどん「好かれたい相手」のゴールを変えていけばいいと思いますね。