終末期を迎え病院でチューブに繋がれながら最期を迎えるか、それとも自宅で穏やかに逝くのか。

つらい治療は望まず、生きる気力を持ち続けて自宅で穏やかに最期を迎えた人たちとその家族のリアルな日々を紹介する、元外科医で在宅緩和ケア医・萬田緑平氏の新著『穏やかな死に医療はいらない』より一部抜粋、再編集してお届けします。

家族の依頼は「余命は本人に言わないで」

僕はこれまでにたくさんの方々の最期を見届けてきました。高齢の方が多かったですが、若い方もいました。一つとして同じ最期はありませんでしたが、穏やかな最期を迎えることができた患者さんやご家族には、唯一にして最大の共通点があります。それは、「死を受け入れていた」ということです。反対に、死を受け入れることができない限り、穏やかな最期を迎えることはできません。心の痛みは身体の痛みにも通じます。死を受け入れることができなかった患者さんほど、身体的な痛みも強かったように感じます。

僕が病院勤務の頃にもっともつらかったことの一つは、ご家族から「本人には病名や余命を伝えないでほしい」と言われることでした。こうなると、患者さんには噓をつかなくてはなりません。本当のことを知らせなかったツケを払わされるのは命のカウントダウンが始まった患者さん本人だからです。30年間、たくさんの患者さんやご家族に余命告知や病名告知をして、患者さんと一緒に乗り越えてきて、このことを確信しました。告知なしで後悔しない看取りができたケースはありません。

ただし、具体的な余命の数字を言うことは、最近ではほとんどありません。余命を正確に当てることは非常に難しく、患者さんがそれを知っても一つもいいことはないからです。

大切なのは噓をつかないこと。具体的な数字は言わずとも、状況を悟ってもらうことです。しかし現実には余命や病名の告知に関しては、ご家族の意向に従うしかありません。だからこそご家族には勇気を持っていただきたい。患者さんとご家族の残された日々に噓があるのは悲しすぎます。

「余命は言わないでほしい。在宅緩和ケアで痛みを取って、元気になったらまた母に治療をさせたい」

そういう娘さんの依頼を「お母さんの望みは叶えられますが、あなたの望みは叶えられません」と断ったこともあります。お母さんの望みは自宅でのんびり暮らすことでしたが、娘さんのほうがそれを受け入れられなかったのです。