田内:『きみのお金は誰のため』には、主人公・優斗と一緒にボスに教わる金融会社勤務の女性・七海が出てくるんですけど、実は最初、七海を主人公にしようと思っていたんです。

でも『三千円の使いかた』を読み返して、それは無理だと思い直しました。ここまで細やかに女性の心情を描くことは僕にはできないな、と。男性として、夫の立場からこの本を読んで勉強しようと思いましたね。奥さんはこういうふうに考えるんだ、とか……。いろいろと学べるところ、共感できるところがありました。

田内「『お金』の本当の意味を伝えたかった」

原田:私も『きみのお金は誰のため』、すごくおもしろく読ませていただきました。前半は、田内さんの投影であるボスの教えを、自分にも照らし合わせながら時間をかけて読みました。後半に入ると畳み掛けるように小説の要素が強くなっていって、一気に読んでしまいました。

田内:ありがとうございます。

原田:私はお金とは「労働と労働を交換するときの単位として、今のところもっとも優れたもの」と考えています。

たとえば植木屋さんに庭木を手入れしてもらうとする。そこで私が本の原稿を持って行って、「これでお願いします」って言っても植木屋さんは困ってしまいます。でも同じ原稿を出版社に持っていけば、それを本にして売ってもらえて、出版社にも私にもお金が入る。そのお金があれば、植木屋さんに庭木の手入れもしてもらえます。

こうして、自分にはできないことをやってもらえる感謝をお金で示せるし、そのお金が入った植木屋さんもありがたいと思ってくれる。こういう循環で世の中は成り立っているという捉え方が、すごくいいなと思ったんです。

田内:お金の使い方やお金の意味について、原田さんがおっしゃったようなことを、皮膚感覚として直感的に理解している人は実は多いんじゃないかと思います。ところが、そこに僕がもともといたような金融の世界の人たちが出てくると、そういう皮膚感覚や直感が否定されて、「経済とは」「金融とは」みたいな大上段に構えた話になってしまう。

するとそちらのほうが偉そうだし、大事に聞こえてしまいそうなんだけど、違う。お金は人と人の間を移動しているだけであって、その移動によって、どう幸せになるかを考えることが、本来、大切なんだ――ということを「お金の専門家」として証明したくて、僕はこの本を書きました。小説の形を取ったのも、それが一番伝わりやすいと思ったからなんです。

対談は終始、和やかな雰囲気で行われた(撮影:尾形文繁)