発足から10年経たない草創期の航空自衛隊に、師匠であるアメリカ空軍から中古戦闘機の売り込みが舞い込んだことがあります。戦闘機の数に難儀していた日本にとってありがたい提案だったはずなのに、断ってしまった真意とは?

アメリカ軍から戦闘機まとめ売りの提案

 2021年現在、航空自衛隊で調達が進められている最新鋭のステルス戦闘機、ロッキード・マーチン製のF-35「ライトニングII」は、1機あたり100億円を超えるとされます。最先端テクノロジーの結晶である新型戦闘機はいつの時代も“高級品”です。

 高級品である新型戦闘機の数をそろえるのに時間がかかることは、航空自衛隊の草創期も同様でした。今から約60年前の1963(昭和38)年ごろ、航空自衛隊では当時最新鋭の戦闘機であったロッキードF-104J「スターファイター」の部隊配備が始まります。

 F-104Jは上昇性能に優れたマッハ2級の高性能戦闘機でした。ゆえに価格も高く、新三菱重工(当時)でのライセンス生産機は1機あたり4億3000万円。これは2021年現在の価格に換算すると約20億円です(日本銀行調査統計局「消費者物価指数」を基に算出)。

 当時は公務員の初任給が1万7000円、小型乗用車が約50万円という時代であり、大変高価な“買い物”でした。そのようななか、在日米軍から日本にある“セールス”が舞い込みます。

「われわれのF-102を買わないか? 75機まとめて97億円でいいぞ!」

 F-102とは、コンベア製の戦闘機F-102A「デルタダガー」のこと。1956(昭和31)年にアメリカ空軍で運用の始まった超音速戦闘機です。それが1機あたり1億3000万円。中古とはいえF-104Jよりも3億円も安い価格で譲るというのです。一見すると、お得な買い物に思えますが、自衛隊は断りました。

東西冷戦が生んだ爆撃機専用迎撃機F-102Aとは

 F-102Aはいわゆる「東西冷戦」の時代、ソ連(現ロシア)の爆撃機を阻止するため、レーダーサイトや防空指揮所などからなる「半自動式防空管制システム」と連携できる迎撃専用の戦闘機として開発された機体です。

「デルタ翼」と呼ばれる大きな三角形の主翼が特徴で、長い胴体の中にはヒューズ社製AIM-4「ファルコン」誘導ミサイル6発を収め、機首には同じくヒューズ社製の高性能FCS(火器管制装置)を備える、当時としては強力な迎撃機でした。1950年代後半、F-102Aは西側陣営における防空のエースとして世界各地に配備されます。

 F-102Aは、在日米軍基地でも1960(昭和35)年から三沢、横田、板付(現・福岡空港)に配備され、まだ作戦能力の低かった航空自衛隊をサポートする形で日本の空の護りに就きました。

 しかしF-104J「スターファイター」の導入・配備で航空自衛隊の対領空侵犯措置(スクランブル)能力は著しく向上し、在日米軍が日本の防空に就く必要性が薄れていきます。さらに当時、アメリカ国防総省トップであったロバート・マクナマラ長官が打ち出していた国防費削減策も影響し、F-102A飛行隊の日本撤退が決定。結果、余剰化したF-102Aが自衛隊に格安で提示されたのです。

 このセールスに悩んだのが航空自衛隊。中古とはいえアメリカ軍が装備する第一線クラスの戦闘機が破格で買えるのですから。またF-104Jは赤外線誘導ミサイル「サイドワインダー」しか運用できないのに対し、F-102Aはレーダー誘導ミサイル「ファルコン」を搭載できるのも魅力でした(当時、空自はレーダー誘導の「スパロー」ミサイルは未導入)。

 さらに当時の航空自衛隊では、当初予定したF-104Jの生産数では部隊に充足しないことが判明。大蔵省(当時)との折衝においても追加生産がなかなか認可されず困っていました。そういったことがあったため、もしかすると航空自衛隊にはF-102Aが魅力的に見えていたかも知れません。

果たして「お得な買い物」だったのか?

 しかしF-102Aそのものが安く買えるといっても、予備部品や整備用治具などは新たに必要であり、追加コストが掛かることは明白でした。しかも中古機なので維持コストは年々上昇することも考えられます。専門教育を受けたパイロットや整備員も確保する必要があります。

 とはいえ「生みの親」であるアメリカ空軍からの提案。航空自衛隊も数か月悩んだようですが、最終的にはその提案を断りました。結果、1965(昭和40)年までにF-102Aは日本の空から姿を消したのです。

 しかしF-102Aを改めて見直してみると、実は導入しなくてもよい機体だったようです。なぜなら、大きく重い機体に対しエンジンパワーが小さいため、迎撃機としての基本性能が全般的に低く、加えて電子機器の開発も遅れたことから、ウエポンシステムとしても不完全なものでした。

 なお、アメリカ空軍ではのちに、F-102A「デルタダガー」の弱点をすべて改良した防空戦闘機の決定版としてコンベアF-106「デルタダート」がデビュー。さらに多用途戦闘機マグドネルF-4「ファントムII」が登場したことなどにより、1960年代にはF-102Aの地位は急速に低下しています。

 さらにF-102Aは、性能や装備品の関係で敵爆撃機に対する迎撃戦闘以外の任務には運用できない機体でした。F-104も事故が多いなどの問題はありましたが、西ドイツ(当時)が爆弾や対艦ミサイルを運用するなどして、防空戦闘機や戦闘爆撃機というかたちで幅広く運用しているのと比べると、機体としての使い勝手はよくなかったと思えます。

 予算も人員も余裕のなかった当時の航空自衛隊が、もしF-102Aを導入していたらどのような結果を招いたでしょう。

 日本も自衛隊も貧しかった1950年代には、当時最新鋭の対潜哨戒機ロッキードP2V-7「ネプチューン」の新品を惜しみなく供与してくれたアメリカ。その後も、在日米軍で余剰となった戦闘機F-86D「セイバードッグ」なども無償で供与してくれています。しかし、以降は無償供与/貸与はほぼなくなり、FMS(対外有償軍事援助)を含む有償での供与がほとんどになりました。

 改めて当時を振り返ってみると、1960年代以降の日本の高度経済成長と、アメリカのベトナム介入の陰が、両国間のミリタリーバランスにも「変化」を生んだのかも知れません。