不運が連続するというのはどんな世界にでもあること。とはいえ、あまりにも運に見放されているんじゃないかと思えるほどトラブルが続くと怖くもなります。そんなイギリス戦艦が第2次大戦中のイギリスにありました。

つまずきの始まりは1年足らずで退位した王様絡み

 古今東西、船乗りは、気象や海象など人間の思い通りにはできない大自然を相手に船を操ってきたことから、民間人や軍人の区別なく、ことさらに信心深く縁起を担ぐ傾向があります。

 その関係からか、船乗りたちは乗る船の「縁起」や「運」をとても気にします。幸運を運ぶ船、不運をもたらす船、縁起の良い船、縁起の悪い船……。そのような船のひとつに、イギリス戦艦「プリンス・オブ・ウェールズ」も含まれていたようです。

 ことの始まりは、ネーミングでした。1936(昭和11)年1月20日、四半世紀にわたってイギリス君主であったキング・ジョージ5世が70歳で崩御しましたが、同王の子息、つまり王子のひとりに与えられていた称号がプリンス・オブ・ウェールズで、彼は父王の跡を継いで同年に即位、エドワード8世となります。しかし王太子時代、プレイボーイとして名を馳せていた彼は、夫婦仲の問題で離婚寸前の状態にあったウォリス・シンプソン夫人と熱愛関係にあったのです。しかも、同夫人は外国人であるアメリカ人でした。

 新王エドワード8世は、最終的に王位よりもウォリスと添い遂げることを選びました。同年12月、彼女と結婚するために、戴冠式すらすることなく、早くも退位してしまいます。彼には退位後、デューク・オブ・ウィンザーの称号が与えられたものの、アメリカ国籍の婦人とのいわば“格差婚”は、「王冠を捨てた恋」とも「王冠を賭けた恋」とも称され、イギリス王室屈指のスキャンダルとして世論を騒がせたのでした。

 このような背景から、祖国が誇る新造の戦艦に国家的スキャンダルを起こした王族の張本人の尊称を付けることについて、賛否両論の激論が戦わされました。結果、最終的に賛成派の主張が通ってプリンス・オブ・ウェールズと命名されたのです。

建造中に起きた数々の不運

 しかし、王室に忠誠を誓う海軍軍人たち、中でも特に下士官兵にはこの命名を内心好ましく思っていなかった者も少なくなかったといいます。そしてこれが、本艦にまつわる「不運」の始まりとなりました。

 このあと、「プリンス・オブ・ウェールズ」を襲った最初のアクシデントは、建造していたリバプールのキャメル・レアード社バークンヘッド造船所が、第2次世界大戦の勃発によってドイツ軍の空襲を受けた際に起きました。このとき艤装中だった本艦は、至近弾を受けて大浸水を起こしたのです。加えて、頻繁に空襲を受けるリバプールと比べ、いくらか安全なスコットランドのロシス(ロサイス)へ向け、本艦を退避させるべく曳航して運ぼうとしたところ、知られていなかった砂洲に座礁。この事故で推進器4基のうち2基がダメージを負ってしまい、やむを得ず損傷した状態で回航されています。

 ロシスに移動してからも、「プリンス・オブ・ウェールズ」は立て続けでアクシデントに見舞われました。艤装作業中にポンポン砲と呼ばれる多連装対空機関砲の点検をしたところ、突然暴発して工員が負傷する事故が起こったのです。また、ほかにも各部での作業中に工員が転落する事故が2回も起きました。さらに、なぜか同じB砲塔(2番主砲塔)で3回もボヤ騒ぎがありました。

 その後、就役して正式に海軍籍となってからも、不運が続きます。1941年5月のドイツ戦艦「ビスマルク」の追撃戦には、竣工したばかりであったため、一部分については工員を乗せ作業を続けながら参加。24日に起こったデンマーク海峡海戦では、「ビスマルク」が放った砲弾1発が艦橋を直撃し、艦長ジョン・リーチ大佐以下2名を除いて艦橋にいたほとんどの要員が戦死するという被害を出しています。たまたま受けた命中弾が艦橋を直撃というのは、まことに不運としか言いようがありません。

姉妹艦のなかでただ1隻のみ戦没

 なお、この海戦では「プリンス・オブ・ウェールズ」と行動を共にしていた巡洋戦艦「フッド」が轟沈しています。「フッド」は全乗組員1419名中、生存者わずか3名という惨事でしたが、この悲劇の原因として、縁起の悪い「プリンス・オブ・ウェールズ」が傍らにいたからだという噂が、まことしやかに囁かれました。

 結果、就役前の一連の事故なども加味され、「プリンス・オブ・ウェールズ」はついにイギリス軍人たちから一緒にいると災いをもたらされるとして、不吉を呼び寄せる人という意味の「ヨナ」というあだ名を付けられてしまったのです。

 そのため、同艦が巡洋戦艦「レパルス」と戦隊を組んで極東に派遣されることが決まると、「レパルス」の乗組員たちは「プリンス・オブ・ウェールズ」を疫病神扱いするようになりました。そして「レパルス」の乗員たちの思惑は的中することになります。

 1941(昭和16)年12月10日、「プリンス・オブ・ウェールズ」は、マレー沖海戦において「レパルス」を道連れにして戦没。全部で5隻が就役したキング・ジョージ5世級戦艦中、ただ1隻沈んだ艦となったのでした。

 そしてこの海戦では、先の「ビスマルク」追撃戦で幸運に恵まれたリーチ艦長も、帰らぬ人となってしまいました。日本側にとってはイギリスが誇る新鋭戦艦を航空攻撃によって沈めたとして、とても有名であるこの海戦も、イギリス軍人、とくに巡洋戦艦「レパルス」の関係者にとっては“さもありなん”だった可能性もなくはないのです。

 1941(昭和16)年3月の就役から、たった約9か月という短命で深碧の淵に没した戦艦「プリンス・オブ・ウェールズ」は、やはり「不運な船」だったといえるのかもしれません。