戦闘機なのに前方機銃を持っていないのには理由がありました。

航空史上屈指の珍機が誕生したワケ

 1937(昭和12)年の8月11日、イギリスのボールトンポール社が開発した戦闘機「デファイアント」が初飛行しました。

 本機の特徴は、機体上部中央に装備した旋回式銃座。これを備えていることで機首を目標方向に向けなくても自在に狙いを定めて射撃することができました。しかし、本機は航空史上屈指の珍機と言われることが多いようです。なぜ、そのような烙印を押されることになったのか、理由はその旋回式銃座にありました。

「デファイアント」の開発が始まったのは1935(昭和10)年のこと。当時、発達著しい爆撃機を重要視する風潮から、世界的に「戦闘機不要論」が幅を利かせていました。これは敵国の首都や主要な軍事目標を直接攻撃できる長距離飛行可能な戦略爆撃機があれば、戦争の形態は一変するという考えから、「防御力と高速性に優れた迎撃不可能な大型爆撃機を揃えれば、戦闘機はいらない」というように考えられた概念です。

 これに基づき、イギリス空軍は敵爆撃機の脅威から自国の空を守るための迎撃戦闘機を整備する計画を立てます。そのなかで、「従来の戦闘機では飛行操作と攻撃をひとりの搭乗員で行っている。もしこれを操縦手と射撃手のふたりで役割分担できれば、効果的な戦闘が可能になるのではないか」と考えます。つまり操縦手は接敵・回避に専念し、射撃手は照準・射撃に集中できるようにすれば、敵に対し有利に戦えるだろうと想定しました。

 このような思惑から生まれたのが、ボールトンポール「デファイアント」です。前出したような考えに沿って開発された機体のため、武装は銃座に集中配置する形をとっており、7.7mm機銃を4連装で装備していました。これにより機首方向以外、後方、左右、上方の様々な方向に対して射撃を行うことができたのです。

 なお、垂直尾翼に銃弾が当たりそうになった場合は、その射角のところだけ自動的に銃座への電気が遮断され射撃が停止するようになっていました。

自由自在に射撃方向変えられる旋回銃座があだに

 こうして、1937(昭和12)年8月11日に初飛行した「デファイアント」はイギリス空軍に採用され、第2次世界大戦勃発直後の1939(昭和14)年10月から部隊運用をスタートさせます。

 翌1940(昭和15)年5月12日には初めての空戦をドイツ軍機と行い、初の撃墜も記録しました。ただ、このときは爆撃機相手であったため良かったものの、その後、Bf109戦闘機と会敵するようになると、途端に負け戦が多くなっていきました。

 なぜなら、ふたり乗りで大型の旋回銃座を装備することで、機体重量が同クラスの戦闘機と比べて重かったため、ドイツ軍戦闘機と戦った場合、スピードは遅く機動性も悪いことから太刀打ちできなかったのです。

 しかも、操縦手と射撃手の連携が取れていないと照準すらままならず、激しい空中戦のさなかに理想の射撃位置につくのもひと苦労だったといわれています。加えて前方機銃がないため、向かい合った際など、正面戦闘に対して脆弱というのも欠点として抱えていました。

 こうして、昼間戦闘機として不適の烙印を押された「デファイアント」は、夜間戦闘機に転用されます。ただ、そこでも同機は操縦手と射撃手に明確に役割分担されていたため、レーダー手をどちらかに受け持たせることができず、他の夜間戦闘機ほど有用とは見なされませんでした。

 なお、このような戦闘機であるため、イギリス空軍のパイロットたちは同機のことを「うすのろ」や「馬鹿」といった意味を含む「Daffy(ダフィー)」と呼んでいたようです。

 結局、「デファイアント」は1942(昭和17)年には早々と戦闘機としては使用されなくなり、支援機として各種訓練や標的曳航、洋上救難などに用いられました。またレーダー妨害装置を積んで電子戦機としても使われています。

 ちなみに、「デファイアント」を最後まで運用していたのはインド空軍で、第2次世界大戦終結後の1946(昭和21)年1月末まで現役だったそうです。