オリンピックとともに平和の祭典のひとつとして称されることの多いサッカー・ワールドカップ。しかし、この大会への出場権をかけた試合が発端となって本当の戦争が起きたことがあります。

サッカーを巡って本当に戦争が勃発

 2022年11月21日に開幕したサッカー ワールドカップ・カタール大会。チームがエントリーしている国の人々は、各試合の成り行きに一喜一憂しており、その熱狂は12月18日(現地時間)の決勝戦まで続きます。ただ、過去にはこの「平和の戦い」が間接的なきっかけとなって、本当の戦争が起きてしまったことがありました。

 半世紀ほど前の1969年6月のワールドカップ北中米・カリブ予選でのこと。中米のエルサルバドルとホンジュラスが準決勝で対決したのですが、これがなんと開戦の原因を生んでしまったのです。

 というのも、エルサルバドルとホンジュラスは国境を接する隣国どうし。そのため、両国の間には、もともと経済上の摩擦や国境線にかんするトラブル、移民の流出入といった、国家間の経済面や外交面でのいざこざが生じていました。しかも両国とも、不安定な政情から、いつクーデターや内戦が起きてもおかしくない厳しい情勢下にありました。そこで両国の政府は、ともに隣接する相手国を国民に敵視させることで、外に敵を作れば、国内情勢の安定化が図れるのではと考えたのです。

 準決勝に勝ったのはエルサルバドルでしたが、これに怒り狂ったホンジュラス国民は、エルサルバドルからの移民を集団で組織的に襲撃し、激しい暴行と虐待を加えました。エルサルバドル政府はこの出来事を知ると、まずホンジュラスと国交を断絶。同年7月3日に至って、国境地帯でとうとう両国の正規軍が交戦する事態に。結果、この武力紛争は、前出したような間接的なきっかけにひっかけて、「サッカー戦争(Football War)」と呼ばれるようになりました。

史上最後、プロペラ戦闘機同士による空中戦の行方は?

 エルサルバドルもホンジュラスも、決して豊かではない、いわゆる発展途上国であり、どちらの国軍も、アメリカの「お下がり」といえる中古兵器を装備していました。特に空軍の主力戦闘機は、世界的にはジェット機が当たり前になりつつあった1960年代末でも、いまだプロペラ機を主力に据えていたのです。

 このような事情から、エルサルバドル軍もホンジュラス軍もヴォート社製のF4U「コルセア」戦闘機と、ノースアメリカン社製のF-51(旧称P-51)「マスタング」戦闘機を装備していました。

 両軍の戦闘機は、開戦からしばらくの間は対地攻撃を軸に使われていましたが、1969年7月17日、ついに本格的な空中戦として相対することになります。

 この日、ホンジュラス空軍のフェルナンド・ソト・エンリケス大尉はF4U-5NL「コルセア」を駆って、対地支援の任務に従事していました。そのようななか、エルサルバドル機の来襲を告げる連絡が入電し、迎撃するよう命令を受けます。

 エンリケス大尉はホンジュラス空軍士官学校を卒業し、一定期間、軍務に就いた後に退役。民間商業パイロットとして働いていましたが、開戦により招集されたベテランの飛行機乗りでした。

 しばらく飛んでエルサルバドル軍のF-51D「マスタング」戦闘機を視認した彼は、ぐんぐん高度を上げます。コルセアの長所である降下速度の速さを利用して、旋回性能に優れるF-51Dを一撃離脱で叩こうと考えた彼の戦術は的中し、撃墜に成功します。

 続けて彼は、エルサルバドルのグッドイヤーFG-1D(グッドイヤー社製のF4U-1D)2機を立て続けに撃墜しました。これは、撃墜機と被撃墜機が同系統の機体という史上まれな撃墜例でした。

サッカー戦争の結末

 なお、サッカー戦争自体はこの空戦が起きた翌日、7月18日の夜にいったん停戦となります。その後、小競り合いは続いたものの、8月3日にはホンジュラス領内からエルサルバドル軍が撤兵を完了させたことで戦争は終わりました。

 一方、エンリケス大尉は前述したような戦果によって少佐に昇進。さらに「プロペラ戦闘機同士の最後の空戦に勝利したパイロット」の称号を得るに至っています。加えて、乗機のヴォートF4U-5NLにも「プロペラ戦闘機を撃墜した最後のプロペラ戦闘機」という称号が付与されました。

 その後、エンリケスの乗機だったF4U-5NLは1981年に退役。現在はテグシガルパ航空博物館に展示されています。また彼自身は大佐まで昇りつめ空軍を退役、2003年10月13日に「ホンジュラス国家英雄」の称号を授与されましたが、3年後の2006年6月25日、同国の首都テグシガルパで亡くなりました(享年67歳)。

 各国の優秀なサッカー選手らが集い、母国の名誉をかけて競うワールドカップは例えるなら「平和的戦争」です。しかしそれをきっかけに、「流血の戦争」が起きてしまったのは、あまりに悲しい出来事でした。