国の鉄道整備方針の基礎になる「答申」には、策定段階で「不採用」とされた構想路線も多数存在。しかし一部、現在になって再び実現に向け検討が進められているものもあります。

1985年の鉄道整備方針は「大物ぞろい」

 国の鉄道整備方針は、国の諮問機関が検討した結論である、いわゆる「答申」がその役割を担っています。 

 その中で、1985(昭和60)年の運輸政策審議会第7号答申「東京圏における高速鉄道を中心とする交通網の整備に関する基本計画について」は、高度成長の終わりに策定された1972(昭和47)年以来、13年ぶりとなる答申でした。前回答申後に発生した「オイルショック」など経済、社会情勢の変化を踏まえ、21世紀を見据えた鉄道整備の在り方を示す、ターニングポイントとなる答申だったといえます。

 この答申では、近年ようやく実現したさまざまな鉄道新線が初出となっています。2005(平成17)年につくばエクスプレスとして開業する常磐新線、2000(平成12)年開業の都営三田線の目黒延伸、2004年開業の横浜高速鉄道みなとみらい線(当時は国鉄横浜線との直通を計画)、2008(平成20)年開業の横浜市営地下鉄グリーンライン、2010(平成22)年開業の成田スカイアクセス線などがあり、2023年3月に開業した相鉄・東急新横浜線の前身となる神奈川東部方面線もこの答申での登場です。

 その一方で、「整備が適当」としながら実現しなかったものとして、以下のものがあります。
・地下鉄半蔵門線の押上〜松戸間
・有楽町線(支線)の押上〜亀有間
・国鉄武蔵野南線の旅客化
・国鉄中央線三鷹〜立川間の複々線化

 また答申で「検討すべき」とされながら進展しなかった構想に、都営浅草線の東京圏南西部への延伸、千葉急行電鉄(現在の京成千葉線千葉中央以南)の海士有木(あまありき)方面への延伸、相鉄いずみ野線の国鉄相模線方面への延伸などがあります。

「答申」にすら載らない「ボツ」構想路線があった

 ところで、さらには答申にすら取り上げられない「ボツ」路線も存在します。これはどのように取りまとめられたのでしょうか。その経緯を資料から辿ってみました。

「運輸政策審議会」は学識経験者や業界団体関係者などから構成され、運輸大臣(現:国土交通大臣)の諮問機関という位置づけであり、官庁、地方自治体、鉄道事業者へのヒアリングを元に、個別事業者の利害関係から離れた立場で計画の「すり合わせや優先順位付け」を行い、答申を取りまとめます。

 つまり答申の水面下には、ヒアリングで要望があったものの優先順位(実現性)が低いとして見送られた路線、さらなる検討を要する時期尚早な路線などの「保留路線」があり、それはさらに、次の答申以前に事業化が決定した路線、次回以降の答申に登場する路線、今もなお検討中の路線、情勢の変化で断念された路線に分類されます。

 通常、答申に含まれなかった「ボツ構想」は表舞台には登場しませんが、運輸省の広報誌『トランスポート』1984年8月号掲載の審議会小委員中間報告に、各団体からの「要望路線」の一覧がまとめられているので見ていきましょう。

1985年当時の世相を反映した採用・不採用路線

 この答申のトピックのひとつが「貨物線の旅客化」です。前回の答申以降、道路整備とトラック輸送の台頭で鉄道貨物のシェアが低下し、国鉄が経営再建の過程で貨物を縮小したことで貨物線に余裕が生じていました。これを活用して通勤路線の混雑緩和を図るという目的です。

 それを反映して、先述の武蔵野南線に加え、山手貨物線池袋〜大崎間の旅客化(後の埼京線)が挙げられており、「他の貨物線への旅客電車の乗り入れについても、今後の貨物の輸送需要の動向を勘案しつつ検討を進める」とされています。

 ここで「他の貨物線」とひとまとめにされ、答申に載らなかったプランが、ヒアリングで挙げられています。具体的には以下が挙げられています。
・京葉貨物線新砂町以西の旅客化
・越中島貨物線の旅客化
・新金貨物線の旅客化

 新砂町とは現在の新木場駅のことで、以西の旅客化とは後のりんかい線です。同区間は次回の2000(平成12)年答申に含まれましたが、実はそれを待たずに事業化が決まり、2002(平成14)年までに新設区間を含め全線開業しています。

 いっぽうで小岩と越中島を結ぶ越中島貨物線と、小岩と金町を結ぶ新金貨物線の旅客化は、その後も含めて答申路線とはなりませんでした。

 越中島貨物線は江東区が2002年にLRT化を調査しましたが、収支採算性と他路線との接続を考慮すると早期の具体化に課題が多いことから長期構想の位置づけに留まり、その後も検討が重ねられているものの、実現の目途は立っていません。

 新金線の旅客化は葛飾区が1993(平成7)年と2003(平成17)年に調査を行い、長期構想路線と位置づけていましたが、2018年に改めて調査検討に着手し、JR東日本、国土交通省、東京都などと検討会を設置。新小岩から国道6号線手前までの第1期開業を2030年頃までに目指したいとしています。

 ちなみに山手貨物線の旅客化については、大崎から大井ふ頭、羽田空港までの乗り入れがあわせて提案されています。これは後に京葉貨物線の旅客化と一体化し、2000年の答申で「大崎〜新木場間の東京テレポートから分岐し、羽田空港に乗り入れる」という構想にまとめられ「羽田空港アクセス線」へ発展。JR東日本が2023年より整備に着手しました。

荒唐無稽すぎてボツ!?「答申」不採用の「広域環状線」とは

 1985年答申の「ボツ路線」には、さらに壮大な路線構想があります。

 まずは、1981(昭和56)年に設立され、答申から3年後の1988(昭和63)年に東成田〜芝山千代田間の免許を取得する芝山鉄道の「九十九里地域への延伸」。そして極めつけが、1922(大正11)年に鉄道敷設法の建設予定線として挙げられた通称「土飯線」です。

 これは名前の通り茨城県の土浦と埼玉県の飯能を結ぶ路線で、常総、久喜、鴻巣、坂戸、高麗川など都心から40〜50km圏を通過する環状線です。東京から各方面に放射路線が伸びる埼玉県は、東西を結ぶ鉄道ネットワークが弱いという課題を長年抱えており、大宮と所沢を結ぶ路線、八潮と和光を結ぶ路線なども構想されていました。

 いずれも超長期的構想という位置づけでしたが、採算性など越えるべきハードルがあり、以降は表舞台に登場することはありませんでした。もしバブル経済のような経済成長が続き、郊外の住宅化が果てしなく進んだならば、具体的な検討もされたかもしれません。しかしそんな勢いは現代の日本にはありませんでした。

 鉄道構想の卵は至るところに存在し、想いもよらぬタイミングで孵化するものです。あなたが空想した路線も、実はすでに誰かが構想しているのかもしれません。