1975年6月3日、戦後初の国産戦闘機が初飛行しました。のちにF-1として制式化されると、F-4EJ「ファントムII」やF-15J「イーグル」ではできない、大型対艦ミサイルを2発積んだ対艦攻撃などを行う「支援戦闘機」として日本を守り続けました。

戦後初の国産戦闘機は実質的に攻撃機?

 いまから半世紀ほどまえの1975年6月3日、日本初の超音速ジェット戦闘機「F-1」が初飛行しました。

 F-1はゼロから開発された新造機ではなく、先んじて1971年に初飛行した三菱重工製の超音速ジェット練習機T-2がベースとなっています。そのため開発当初は、T-2の派生型という意味で、「FS-T2改」と呼ばれていました。

 F-1の機体構造はT-2と基本的に同じであり、細長い胴体と小さな主翼が特徴です。ただ、戦闘機として使えるよう、機体のさまざまな箇所が改装されています。最も大きな相違点はコックピットを2人乗りから1人乗りに改めた点でしょう。前方の操縦席だけを残し、必要なくなった後席部分を、戦闘機として用いるために必要な電子機器などを設置するスペースに転用しています。また、機首部分のレーダーも火器管制システムを搭載したモデルに換装するとともに、機体外部にはレーダー警報装置などを増設。主翼には兵装搭載用のパイロンやランチャーを取り付けています。

 機体塗装もT-2練習機ではグレイ系の単色でしたが、F-1では緑と茶を組み合わせた迷彩パターンを採用しています。これは、開発当時に諸外国の軍用機がまとっていた迷彩塗装を参考に、国内においてF-86「セイバー」を使って試験を重ねたものだそう。これにより、F-1は航空自衛隊で迷彩塗装が正式に採用された初の機体となりました。

 F-1は我が国初の超音速ジェット戦闘機でしたが、航空自衛隊では同機の主任務を海上の艦艇や地上の敵部隊への攻撃としていたため、「支援戦闘機」と呼んでいました。これは海上や陸上の味方部隊を「支援」するための戦闘機という意味で、実質的には他国における攻撃機に相当する機体と言えるでしょう。

国産空対艦ミサイルとセットで運用

 航空自衛隊の戦闘機の主任務は、日本国の領空に接近する他国の軍用機の迎撃であり、一般にも「対領空侵犯措置」という名称で知られています。しかし、軍事的脅威は空以外からもやってきます。他国が日本への侵略を試みた場合、戦車や歩兵といった陸上部隊を日本に上陸させる可能性があり、その兵力は軍艦に守られた輸送船によって運ばれてきます。

 支援戦闘機の主任務はそんな軍艦や輸送船を上離陸する前に洋上で撃破することであり、また、上陸を許してしまった場合には、それら陸上部隊を攻撃するのも任務に含まれています。

 支援戦闘機として開発されたF-1を象徴する兵器が、この機体と合わせる形で開発された国産対艦ミサイル「80式空対艦誘導弾(ASM-1)」です。このミサイルの射程は約50km、弾頭重量は150kgもあり、当時の日本周辺国の海軍艦艇にとっては大きな脅威になったとか。F-1は、80式空対艦誘導弾を2発搭載することができました。

 他にも、「91式爆弾用誘導装置(GCS-1)」というものもありました。これは航空機搭載用の無誘導爆弾に後付けするタイプの、いわゆる誘導キットです。本体先端に赤外線誘導用のシーカーが搭載されており、洋上を航行する艦艇の熱源を追尾して命中します。

 誘導爆弾というと、レーザー誘導式のものが世界的に普及していますが、こちらはレーザーを目標に照射する必要があります。一方の「91式爆弾用誘導装置」の場合は爆弾のシーカーが自律誘導を行うため、投下後は速やかに離脱することが可能でありパイロットは特別な操作をする必要がありませんでした。また、機体側にターゲティングポッドのような特別な装備を取り付ける必要もありませんでした。

 とうぜんF-1には、これら以外にも、無誘導の通常爆弾やロケット弾ポッドなども搭載可能です。また、機首には固有武装として20mm機関砲も装備しており、これを使った対地攻撃も可能です。特に通常爆弾の攻撃では、照準用のためのJ/ASQ-1管制計算装置を搭載しており、その命中精度は無誘導兵器であるにも関わらず、非常に高かったと言われています。

対艦攻撃任務は職人芸? 

 複数の兵装を搭載可能なF-1でしたが、支援戦闘機としての任務を達成するための飛行は非常に過酷なものであり、ある種の職人芸ともいえるものでした。

 対艦攻撃任務を行う場合、F-1は敵艦艇からの探知と迎撃を避けるために高度30〜60mという海面スレスレの高度を、約650〜740km/hの高速で飛行。なお、敵艦のレーダー探知範囲から攻撃可能距離まで接近するため、このような低空高速飛行は瞬間的なものではなく、任務中は継続して行われたそうです。

 その機体特性からF-1は、低空飛行時の安定性は同時期に航空自衛隊が運用していたF-4EJ「ファントムII」やF-15J「イーグル」といったアメリカ製戦闘機よりも優れていたといいます。しかし、低空飛行用のオートパイロットや操縦補助装置などはなく、すべて人力での制御。そのため、パイロットはこのような低空飛行を行うための高い技量と、それを持続できるだけの強靭な精神力が必要とされました。

 なお、F-1は対艦・対地兵装の他に、対空兵装として赤外線誘導の短距離空対空ミサイルも搭載でき、戦闘機相手の空中戦も可能でした。そのため、平時には他国の航空機に対する「対領空侵犯措置」任務、いわゆるスクランブルにもF-15JやF-4EJとともに就いていました。

 しかし、エンジン推力や運動性能などは、その2機種よりも明らかに劣っており、空中戦に関してはあくまでも自機を守るための自衛レベルでしかありませんでした。ゆえに、訓練においても航空自衛隊や在日米空軍の戦闘機(F-16「ファイティングファルコン」やF-15「イーグル」)と対峙したときには、相手の隙を突いた戦術によって少数を撃墜するのがせいぜいで、基本的には劣勢だったそうです。

 F-1は約80機が生産され、全国で3つの飛行隊に配備されました。それら飛行隊は順次、後継のF-2戦闘機に更新されたため、旧式化したF-1は2006年に航空自衛隊から完全退役しています。

 ただ、F-1が切り拓いた対艦、対地、対空とマルチに使える能力はF-2に受け継がれており、新型の国産空対艦ミサイルの開発も途切れることなく進められています。