旧優生保護法により不妊手術を強制された人たちが国に賠償を求めていた裁判で、最高裁大法廷は3日、憲法に違反するとして国に賠償を命じる判決を言い渡しました。富山県内で被害の実態解明や被害者救済を訴えてきた脳性まひの河上千鶴子さんは「被害にあった人でもなかなか周りに言えず『障害者だから仕方がない』と訴えることができなかったことを改めて国が認め、責任を取って欲しいと強く思います」とコメントしました。

裁判の最大の争点は、不法行為から20年経つと賠償を求められなくなる「除斥期間」と呼ばれる規定を適用するかどうかでした。

裁判長は「除斥期間の経過により国が賠償を免れることは、著しく正義・公平の理念に反し、到底容認することはできない」としました。

河上千鶴子さん「今日の判決を聞いて、本当にうれしく思いました。私は原告ではないけど、一歩間違えれば被害者になった可能性があったからです。長年闘ってきた活動にようやく光が見えた感じがしています。除斥期間(時の壁)が障害になっていたため、ずいぶん苦しめられてきました。もっと早くこういう判決が出ていれば、多くの被害者が助かっていたと思います」

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小さな命守るため、ここから「逃げよう」

河上千鶴子さんは生後まもなく脳性まひとなり、身体が不自由です。若い頃から障害者の権利を訴える活動を行っていて、20代で夫の和雄さんと出会い1981年に結婚。和雄さんは健常者で、どちらの両親も、2人の結婚には反対でした。

24歳の頃の河上千鶴子さん

夫 和雄さん「うちらとしては子どもができたら反対せんだろうというある種の策略があって、“できちゃった結婚” にしちゃったんです」

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小さな命を授かった千鶴子さんが、ある産婦人科病院を受診したところ、医師は「前の医者は産んでいいと言ったんか」「産まれてもいい子できないのに」と言って、千鶴子さんは何の説明もなく注射を打たれそうになりました。

その時、ちょうど他の患者のお産が始まって、医師は診察室を出ていきました。そこへ外に出ていた夫の和雄さんが診察室に戻り、全身硬直する千鶴子さんをみて、小さな命に迫る “危機” に気づいたのです。

夫 和雄さん「緊張したら体が固まる、脳性まひの場合。体の筋肉がこわばってしまう。ろくに話もできんような状態だったから『逃げよう』って」

千鶴子さんが、その医師から感じたのは「障害者は子どもを産むべき存在ではない」という「優生思想」でした。

1歳の長男が「上がるの手伝ってください」

戦後間もない1948年に成立し、1996年まで48年間存続した「優生保護法」。障害者は障害者を産むという医学的に誤った考えと差別的な優生思想に基づき、知的障害者などに対して強制的な不妊手術を認めていました。

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去年まとめられた国会の報告書によりますと、旧優生保護法下での不妊手術は全国で2万4993件。このうち65%が本人の同意がなく行われていました。最年少は9歳で、他の病気と偽って不妊手術を受けさせた事例も確認されました。

河上千鶴子さん「腹が立って、障害者にも子どもを産む権利はあるのに」

千鶴子さんのような「脳性まひ」の障害者は対象ではありませんでしたが、優生保護法がもっていた差別的な思想は法律の枠を超えて、障害のある人たちの「産む権利」を脅かしてきました。

こうした優生思想に抗いながら、千鶴子さんは29歳の時に長男を出産。ヘルパー、ボランティアの助けを借りながら子育てをしてきました。

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長男が1歳を過ぎた頃、こんなことがあったといいます。

車いすに乗って、長男を膝の上にのせて抱っこをして外出した千鶴子さん。駅の階段の前で、まだ1歳の長男が片言で「上がるのを手伝ってください」と一生懸命に言ったそうです。千鶴子さんはびっくりしたと同時にとてもうれしかったといいます。今のように駅にエレベーターがなかった時代、1歳の長男は、いつも介助を求めて叫んでいた千鶴子さんの真似をしたようです。

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「法律」としてあったことが信じられない…

現在42歳となった長男のAさん。去年6月、千鶴子さんが取材を受けた記事を読んで初めて「優生保護法」という法律があったことを知り、千鶴子さんにメールを送りました。

長男 Aさんからのメール「今自分や家族が居ることの背景にそのような恐ろしいことがあったというのは子ども達にも話したし、自分の意志というのはいかに大事なことなのかを母さんが証明したんだということを伝え、誇りに思う。強い母で良かった」

障害者が子どもを持つことは当たり前のように感じて育ったという長男Aさん、かつて確かにあった法律に、恐怖すら覚えるといいます。

長男 Aさん:「法律としてあったのが信じられなくて。人権侵害を国として行っていたことが怖くて信じられないです」

「希望の光なんだよって…」

障害者の権利を訴えて活動を続けている母親、千鶴子さんは、ハンセン病の人たちが受けた苦しみに自身の体験を重ねて、長年ハンセン病問題と関わってきました。

「らい菌」に感染することで皮膚と抹消神経が侵される「ハンセン病」。現代では感染することも発病することもほぼない病気ですが、患者たちは国の政策で強制的に施設に隔離されて長年差別や偏見に苦しめられてきました。

街頭で講演会への参加を呼びかける河上千鶴子さん

ハンセン病は「旧優生保護法」の対象で、本人の同意がなくとも強制的に優生手術や人工中絶などを実施することができるとされていました。

千鶴子さんは各地の療養所を訪問し交流したり、富山で講演会や勉強会を開いたりしてきました。

長年交流を続けてきたのが、鹿児島県の「星塚敬愛園」で暮らしていた玉城しげさんでした。

富山市での講演会で話す玉城しげさん(2007年)

玉城さんは20歳の時に7か月の子どもを強制的に堕胎させられ、目の前で殺された経験があります。2007年、富山市で開かれた講演会で玉城さん(当時89歳)はこう語りました。

玉城しげさん:「口と鼻を厚いガーゼで看護婦さんが押さえて、看護婦さんが私に『しげちゃん、こんなかわいい赤ちゃんをごめんね、ごめんね』って言うて…」

提供:河上千鶴子さん

2010年、千鶴子さんの長男Aさんも玉城さんに会いました。Aさんは玉城さんから握手を求められたことを今も覚えています。

長男 Aさん「僕と握手しながら、(あなたは)希望の光なんだよって…」

旧優生保護法について知ったことで、長男Aさんは14年前に玉城さんにかけられた言葉の意味をあらためて理解したそうです。

Aさんは結婚して、今は2人の子どもの父親です。

長男 Aさん「本当に生んでくれてありがとうって思った。自分のことだけやったらあんまり気づかないんだけど。自分の子どもが生まれるってことは自分があるからだなって。それをもしかしたら壊してたかもしれんっていうのが腹ただしいというか。いい子生まれて来ないって、俺の事かって感じ」

Aさんは、自分の子どもたちにも千鶴子さんが経験したことや、旧優生保護法という恐ろしい法律が存在したことを話して聞かせたといいます。

千鶴子さん:「自分の子どもに伝えてくれているっていうのがうれしかった」

旧優生保護法のような被害が起きたのはなぜか、まだ検証が不十分だと専門家は指摘しています。最高裁判決をきっかけに、あらためて同じような問題が繰り返されることがないように、しっかり検証して伝え続けていく必要があります。