「おもちゃにするな」組合から呼び出され怒られた

輪島朝市通りの近くに体験工房を造った。今からちょうど30年前、1994年(平成6年)の春だった。オープンしたのが春休みだったことから、家族旅行で朝市通りに訪れた親子連れが列をなした。当時、輪島塗作りを体験させること自体が珍しく、雑誌や新聞などからの取材が相次いだ

業界からは冷ややかな目で見られた。

「歴史ある伝統の輪島塗をそんな遊びにしちゃいかんて、組合から呼び出されて何回も怒られました」と中宮さんは振り返る。

それでも、当時からまったく意に介さなかったという。むしろ、体験工房で子どもたちが楽しそうに輪島塗の器を手にしながら絵付けをしている姿をみて、「大成功だ」と思った。

「輪島塗は高価なモノというイメージもあったけど、自分で手がけられると愛着が湧くし、ただ漆器を作って売るだけではなく、漆器を楽しんでもらって、輪島塗の名前が広がるなら良いじゃないかと思っていましたね」
朝市通り近くにあった「塗太郎」の店舗兼工房=中宮春男さん提供

5年後、借りていた物件の契約が切れ、新しいところを探していると、買ってほしいと声をかけてくれた人がいた。
18歳だった中宮さんを弟子にとり、上塗り職人にまで引き上げてくれた田谷忠親方だった。店をたたむため、200坪ほどある敷地を買ってほしい、と言われた。「私にとっては神様のような親方だし、恐れ多くてとても買えませんと断ったんですが、『お前なら何かやってくれそうだから』と懇願された」

輪島塗「塗太郎」の体験工房の様子=YouTubeチャンネル「輪島塗太郎」から  

道に「田谷小路」と名付けられるほど大手だった親方の店と土地を買い取り、200坪の土地に工場、店舗、体験工房と自宅を再建した。

地震による大火では、そのすべてが焼け落ちた。

「塗太郎」の店舗兼工房があった付近=石川県輪島市2024年2月8日、石井大資撮影  

「きれいさっぱり燃えたことで逆に踏ん切りつきました」と中宮さんは言う。

今年2月、被災して1カ月ぶりに「塗太郎」のホームページ(HP)を見た中宮さんは腰を抜かしそうになったとう。「安否を心配するメールが何千件と入っていて、口座にもお金が入金されていて…」。さらに、HPを通じて注文が約300件入っていた。「あれを見た時は本当にうれしかった。早くやらないと、と責任感もわいてきて。お客さんからの励ましが今一番、自分たちの再建の力になっている」

「過去、困難に直面した時も常に、じゃあ自分には何ができるんだと考えてきた。自分は作る世界の人間なので、また作るだけ。常に、一から作ってきた。これからも、作っていきます」

近く、東京にもショールームを持ちたいと考えている。職人社長の夢は、尽きない。

(取材:今村優莉)