5月12日(日)に放送した、日曜ビッグバラエティ「超スゴ!自衛隊の裏側ぜ〜んぶ見せちゃいます!初公開連発SP」。

自衛隊全面協力のもと、陸・海・空のさまざまな現場を徹底取材! スタジオに博多華丸・大吉、剛力彩芽を迎えて自衛隊の活動をわかりやすく紹介する人気シリーズ。

「テレ東プラス」では、「ブルーインパルス!神ワザ飛行ランキング&新エースパイロットに初密着」の内容を紹介する。

【動画】ブルーインパルスの新エースパイロットにテレビ初密着!

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これまで2度にわたり、ブルーインパルスの"エース"と呼ばれる5番機パイロット・グッチ隊員に密着してきたこの番組。しかし、去年10月、グッチ隊員は3年間のブルーインパルスの任期を終了。5番機は弟子のパイロットに継承され、新エースが誕生していました。

6機で編成されているブルーインパルスは、それぞれの番機ごとに担当するパイロットが決められています。その中で、派手なソロ課目を数多く担当するのが5番機で、まさにブルーインパルスのエース! 航空自衛官4万3000人もの中からエースに選ばれたのは、どんなパイロットなのでしょうか。

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新しく5番機のパイロットに就任したのが、"ジーク隊員"こと藤井正和さん(38歳 ※取材当時)。去年10月に行われた航空祭で、5番機パイロットとしてデビューしました。
以前は沖縄県の那覇基地に所属し、F-15戦闘機のエースパイロットとして南西諸島警戒にあたっていたジーク隊員。新エースに採用されるのは若手かと思いきや、中堅にあたる年齢で、ブルーインパルスのパイロットの中では2番目の年長者です。記事画像
ブルーインパルスのパイロットは希望を出した隊員の中から選考されますが、キャリアや年齢によって、担当する機体が大まかに決まっています。
双子のように同じ動きを見せることが多い2番機と3番機は若手が担当。5番機とコンビを組んで派手なアクロバットを見せる6番機と、編隊の最後尾から指示を出す4番機は中堅が担当します。そして5番機に任命されるのは、確かな飛行技術と経験を積んだトップクラスのパイロット。ジーク隊員も戦闘機部隊でエースとして活躍し、新人パイロットの教官を務めたほどの凄腕パイロットです。

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どうしても花形である5番機のパイロットになりたかったというジーク隊員。その理由は、5番機は"背面飛行"をする課目が最も多いから。
「戦闘機では背面飛行を意図的にやることはないので、超低高度で背面飛行をするのは5番機だけの醍醐味。戦闘機パイロットとして興味があった」と話します。
しかし、そもそもなぜ5番機がエースと呼ばれることになったのでしょうか。

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航空自衛隊にアクロバット飛行チームが生まれたのは、1958年のこと。アメリカ空軍のアクロバット飛行に感銘を受けた3人のメンバーにより、静岡県・浜松基地に非公式のチームが結成されました。1960年、正式にアクロバット飛行チームが創設され、その際に名付けられたチーム名は「天竜」。なんと、始めはブルーインパルスではなかったのです。

由来は静岡県浜松市を流れる「天竜川」でしたが、「名前が古臭い」「無線交信時に聞き取りづらい」などの意見が噴出。そこで、当時のリーダーが所属していた第2飛行隊のコールサイン「インパルス」をベースに、ブルーインパルスと命名されました。

現在のブルーインパルスは6機編成ですが、創設当初は4機編成。当時から見事な技を披露していましたが、4機だけでは、技の合間が間延びしてしまい観客が退屈してしまうため、新たに5番機を追加。4機が次の技に移行する間に、単独で派手なアクロバット飛行を見せるように。それ以来、5番機には特に操縦技術が高い隊員が選ばれ、ブルーインパルスのエース機と呼ばれるようになったのです。

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5番機誕生から約60年、エースの技は師匠から弟子へと一子相伝で脈々と受け継がれてきました。「"歴代の想い"というのはありますよね。先輩が代々受け継いできたものも、同時に引き継いでいかないといけない」。技だけではなく、諸先輩方の想いも受け継ぐジーク隊員。「今年はもっとキレや迫力を追求した演技ができるよう努力していきますので、楽しみにしていてください」と気合十分!

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