1.競馬界の「大名人」

本題に入る前に、ある将棋棋士の話をさせて欲しい。その棋士は史上4人目の中学生棋士としてデビューし、弱冠20歳で竜王位を獲得。そして竜王戦を5連覇し、「永世竜王」の資格を史上初めて得た。その後もトップ棋士として活躍、名人にもなった。棋士の名は渡辺明。競馬ファンとしても有名だから、読者の中にもご存じの方が多いかも知れない。

この渡辺明九段が、史上5人目の中学生棋士として目覚ましい活躍を見せていた藤井聡太七段(当時、現八冠)に棋聖のタイトルを奪われた後、妻で漫画家の伊奈めぐみ氏に興味深い考察を披露している。

将棋界には大山(康晴、十五世名人)・中原(誠、十六世名人)・羽生(善治、十九世名人)っていう大名人の系譜があって
藤井くんもおそらく それ
俺はそこには入らないんだよ

伊奈めぐみ『将棋の渡辺くん』6(講談社、2022年)より引用、括弧内は筆者

将棋界には「大名人の系譜」があると言うのである。渡辺九段は勝敗に関わらずSNS等でも対局の振り返りを積極的に発信することで知られ、自己の客観視と言語化に長けた棋士である。しかも名人と並ぶ将棋界の二大タイトル・竜王の永世称号の有資格者だ。その渡辺九段の口から出た言葉であるから、意味は重い。将棋を極めし者の更に極地。頂の景色を知る者でさえその資格が無いと考えてしまうような境地が存在するということだ。

もう少し渡辺九段の言葉からこの境地を探ってみよう。渡辺九段は「大名人」藤井八冠の棋風を野球に譬えてこう分析する。

藤井くんは球種をほぼ予告してるの
だからこっちも王道でいった方が狙い打てる
だけどこれが打てないんだ
全盛期の藤川球児みたいな感じ

伊奈めぐみ『将棋の渡辺くん』7(講談社、2024年)より引用

「王道」が通じない相手だと感じさせる、他の棋士を超越した凄みが「大名人」にはあることがうかがえる。晩年の中原十六世名人・全盛期の羽生九段とも対局経験のある渡辺九段だからこそ、「大名人」の将棋を肌感覚として把握出来ると思われる。 伊奈氏は先程の分析に対し、「大名人の将棋を君は正確に語れる貴重な人間だと思う」(伊奈めぐみ前掲『将棋の渡辺くん』7より引用)と評した。その渡辺九段が語る大山・中原・羽生・藤井という「大名人」の系譜。時代を創る「超越者」のような存在がバトンを渡してきたのが将棋の歴史だということだろう。

ところで、渡辺九段は棋士が競馬を愛する理由について、以下のように語っている。

伝統的に将棋界は競馬が好きな人が多いです。勝負事が好きというのもありますし、読む、決断する、結果が出る、それの繰り返しという作業が将棋と同じだからでしょうか。

「BREAK TIME 第1回渡辺 明 さん(将棋棋士)」(『中山馬主協会 ウェブサイト』2022年6月26日、https://nakayama-racehorseowners.or.jp/main/breaktime/item/23511)より引用

渡辺九段が指摘するように同じ勝負事として競馬と将棋に共通する要素があるとするならば、競馬界にも「大名人の系譜」に相当するものがあるのではないか。私はそのように思った。

まず「系譜」として思い浮かぶのは、サイアーラインやファミリーラインといった血統の要素である。しかしこれはあくまでも血縁関係であり、渡辺九段の述べるような「大名人の系譜」とは趣が異なるだろう。そこで、偉業を成し遂げた名馬の「系譜」を考えてみよう。

「名人」と並ぶような大偉業となると、まず浮かぶのは「三冠馬」である。襲名制から実力制に移行してからの永世名人の有資格者が6人、日本中央競馬会発足後(つまり第二次大戦後)の三冠馬が7頭であるから、権威・稀少性という観点からも相当と見て良いだろう。では「大名人」となるとどうか。渡辺九段の指す「大名人」には「時代を創った」という文脈が入るだろうから、三冠馬で言うなら「古馬になっても年度代表馬に選ばれた馬」になろうか。そうすると、「最強の戦士」シンザン・「皇帝」シンボリルドルフ・「英雄」ディープインパクト、という「競馬版・大名人の系譜」が出来上がる。先程私は「大名人」を「超越者」と形容したが、この表現はこの3頭にも当てはまるだろう。

そして一方で、競馬史に不朽の名を刻む三冠馬でありながら、古馬として年度代表馬に選ばれることのなかった、上記の「系譜」に入らない競走馬も存在する。2020年に三冠を達成したコントレイルもその1頭だ。付け加えるなら「一度も年度代表馬になっていない三冠馬」という特異な存在でもある。2歳GⅠを勝ち、3歳では父子無敗三冠という空前の大偉業を成し遂げ、古馬となってからも馬券圏内を一度も外さない堅実な走り──。優れた実績を残しながらも、上の世代と下の世代によって一時代を築くことを阻まれた馬であった。

2.「抒情詩」コントレイル

そしてコントレイルのことを思うとき、私には「抒情詩」という言葉が思い浮かぶ。元々は文筆家・寺山修司が「貴公子」テンポイントを譬えた言葉である。寺山は同世代のライバル「天馬」トウショウボーイを「叙事詩」に譬え、対比した。

トウショウボーイ  テンポイント
 叙事詩       抒情詩
 海         川
 (中略)
 夜明け       たそがれ
 祖国的な理性    望郷的な感情
 (中略)
 影なき男      男なき影

寺山修司「男の敵 ジョン・フォードの映画を思い出しながら」(『旅路の果て』新書館、1979年/河出書房新社より2023年復刊)より引用

トウショウボーイは3歳(旧4歳)時に皐月賞と有馬記念、古馬になっても宝塚記念を勝利し、引退後は顕彰馬に選出されている。寺山は見届ける前に世を去ったが、父としてミスターシービー・ダイイチルビーらを、母父としてマチカネフクキタル・コスモバルクらを輩出し、種牡馬としても優れた実績を残した。トウショウボーイのような「その事蹟で日本競馬史に名を刻んだ馬」を「叙事詩」に譬えるなら、無敗三冠に加えてホープフルステークス・ジャパンカップとGⅠ5勝のコントレイルも「叙事詩」として語るべきだろう。

しかし、私はどうしてもコントレイルを「抒情詩」として語りたくなる。それはおそらく同じ無敗三冠馬であるルドルフ・ディープと異なり先述の「大名人の系譜」に入らなかったことが関係しているのだろう。また、この馬にまつわる物語が、どこか「寂しさ」を感じさせるからかも知れない。テンポイントと同じように、「男なき影」「望郷的な感情」という言葉がコントレイルにはしっくりくる。「叙事詩としての三冠馬」コントレイルの競走生活を、クラシックシーズンを中心に振り返ってみよう。

3.男なき影

コントレイルの父は「大名人」の一頭・ディープインパクト。無敗三冠を含めGⅠを7勝し、種牡馬としてもジェンティルドンナ・ラヴズオンリーユー・サクソンウォリアー・フィエールマンなど国内外で活躍する名馬を数多く輩出した、日本競馬史に燦然と輝く「一大叙事詩」である。ただ、アンブライドルズソング産駒のロードクロサイトの三番仔としてノースヒルズで生まれたコントレイルは、その後の大活躍を予感させるようなずば抜けた幼駒では無かった。しかも1歳時には球節炎を発症し、半年間も調教ができなかった。しかし、調教を再開するとその非凡さを見せる。ブランクを感じさせない動きで評価を高め、2歳の9月にデビュー。ここを危なげなく勝って東京スポーツ杯2歳ステークスに駒を進めると、1分44秒5という芝1800mのJRAレコードを叩き出して圧勝。クラシックの大本命として注目の的となった。

GⅠホープフルステークスでは新馬戦と同じ福永祐一騎手を鞍上に迎え、単勝2.0倍の1番人気。逃げるパンサラッサを交わして先頭に立ち、ヴェルトライゼンデ以下を封じた走りは既に王者の風格。フジテレビで実況を務めた福原直英アナウンサーも「これは来年が楽しみになった」とコメント。同じく無敗のGⅠ馬であったサリオスを抑えて最優秀2歳牡馬に選ばれたのも、皐月賞と同じ舞台のこのレースを余裕を持って勝ったことが大きな要因となっているだろう。

2歳王者として挑むクラシック、陣営は皐月賞に直行するローテーションを選んだ。頑健な身体を持つとは言えないこの馬にとって前哨戦を使わないことがベストの選択という判断である。そして皐月賞当日。並み居る前哨戦の勝ち馬を差しおいて、2.7倍の1番人気に支持されたのはコントレイルであった。ところがゲートが開くとコントレイルはスタートから行き脚がつかずに後方へ。福永祐一騎手は覚悟を決めて後方強襲策を採用し、4コーナーで先頭に躍り出ようとする。そうはさせじと内で食い下がる2歳マイル王サリオスとの叩き合いは、半馬身差でコントレイルの勝利であった。管理する矢作芳人調教師の「強い馬はどんな条件でも強い」というコメントは、このレースを象徴しているだろう。無敗の二冠、そして三冠へ、大きく視界が開けた勝利であった。

しかし、このレースについては触れておかねばならない要素がある。新型コロナウイルス感染症の流行によって行われた「無観客競馬」であったことだ。2020年、瞬く間に広がった未知の感染症は、人々の生活をガラリと変えた。国民的娯楽であるスポーツの世界でも影響は大きく、夏の甲子園を始めとした伝統あるイベントも中止を余儀なくされた。競馬は開催を続けたものの、地方競馬は2月27日、中央競馬は2月29日から無観客競馬に移行。戦後初の事態である。春のクラシックシーズンが始まっても状況は収束を見せず、無観客競馬は続行。無観客でのクラシックレース実施は第二次大戦中の1944年菊花賞以来のこととなった。閉塞感が漂う中で生まれた無敗の皐月賞馬コントレイルは、前週に無敗で桜花賞を制したデアリングタクトと共に、競馬界の「希望」を感じさせる数少ない要素であった。

そして迎えた日本ダービー当日。1番人気は勿論コントレイルである。単勝オッズは1.4倍。前週にデアリングタクトが無敗牝馬二冠を達成していたこともあって、競馬ファンは父ディープインパクト以来となる無敗二冠の達成に期待していた。前走とは打って変わって好スタートを決めたコントレイルは3番手を追走。福永騎手も折り合いに専念すると、迎えた直線では鋭い伸びを披露する。後方から末脚に懸けたサリオスの追撃も及ばず、3馬身差をつけて快勝。福原直英アナウンサーの「このダービーはコントレイルのためにあった」という実況が強さを物語る。福永騎手はウイニングランの後、スタンドにヘルメットをとり一礼。するとコントレイルも応じるように頭を垂れた。しかし、本来なら快挙に大喝采を浴びせるはずの観衆は居なかった。無観客競馬は競馬の祭典でも続行されていたのだった。無人のスタンドを前に佇む無敗のダービー馬。この「男なき影」にこそ、コントレイルという馬が象徴されているように思う。

4.望郷的な感情

無敗のダービー馬となったコントレイルに望まれるのは、勿論父子無敗三冠という不滅の大記録達成である。秋緒戦となる神戸新聞杯を2馬身差で問題無く勝つと菊花賞に臨む。前週にはデアリングタクトが史上初の無敗牝馬三冠を達成しており、ダービー以上に有形無形の期待がかけられたレースとなった。最終的にディープインパクトと同じ単勝元返しとはいかなかったものの単勝オッズ1.1倍の圧倒的1番人気に支持される。クリストフ・ルメール騎手騎乗のアリストテレスのマークを受け、折り合いを欠きながらもクビ差で退けてゴール。日本競馬史に不滅の大記録が刻まれた瞬間であった。この時のスタンドにはわずかな数ではあったものの観客の姿があった。10月10日から指定席購入者限定の優観客競馬が再開されていたのである。競馬界に「希望」が灯ったことを示すような勝利であった。

しかし、コントレイルはそのまま父のような「大名人」の道を歩むことは出来なかった。コントレイルとデアリングタクトに加え、GⅠ8勝を誇るターフの絶対王者アーモンドアイという三冠馬3頭が揃って出走し、「世紀の一戦」と称されたこの年のジャパンカップでコントレイルに初めて土がついた。結果として年度代表馬に選ばれたのはアーモンドアイであった。大一番の敗北が大きな影響を与えたのだろう。

翌年も苦難は続く。海外初遠征として予定していたドバイターフはコロナ禍が収まらず出走を断念。矛先を国内に変えて臨んだ大阪杯は重馬場に苦しんで3着、宝塚記念はコンディションが整わずに回避と、春シーズンをまさかの未勝利で終える。失地回復を狙った天皇賞(秋)ではスタートで出遅れ、上がり3ハロン33.0の末脚こそ繰り出したが3歳の新星エフフォーリアを差し切ることが出来ずに2着と敗れた。

菊花賞以来勝ち星に見放された状況。それでもコントレイルは闘志を失わなかった。引退レースとなったジャパンカップでは、青葉賞を制しながらダービーに出走叶わなかった同期のオーソリティとエフフォーリアを日本ダービーで破ったシャフリヤールを完封。フジテレビで実況を務めた倉田大誠アナウンサーの「空の彼方に最後の軌跡」という名文句と共にGⅠ5勝目を飾ってターフを去った。しかし、年度代表馬は有馬記念も勝ったエフフォーリアが選ばれた。コントレイルは上下の世代に栄冠を持っていかれた形である。

コントレイルについて書こうと思った時にまず渡辺明九段の名前が浮かんだのは、絶対王者・羽生善治と新星・藤井聡太という大棋士二人を上下の世代に持ち、「大名人ではない」という自覚を持ちながらも自らの棋士道を歩んで唯一無二の存在感を発揮する渡辺九段が、アーモンドアイとエフフォーリアによって一時代を築くことを阻まれたコントレイルに似ているように感じたからだろう。

コントレイルは無観客競馬・入場制限競馬の最中に生まれた三冠馬であった。だから、他の三冠馬と比べても「コントレイルのレースを直接観た人」の絶対数は少ないだろう。それでもレースがある度にSNSのトレンド上位にランクインし、取材動画は数多く再生された。おそらく閉塞感漂う社会情勢の中で競馬界に生まれた「希望」が、ファンの連帯感を生み、「望郷的な感情」を呼び起こしたのではないだろうか。完全無欠の「大名人」では無いからこそ、ファンが「自らの居場所」のように感じさせる何かがコントレイルにはあったのかも知れない。

5.走る希望を見守ってやろう

コントレイルの馬生にはどこか「寂しさ」がつきまとう。父ディープインパクトが突如世を去ったのは、コントレイルがデビューする2ヶ月前のこと。皐月賞・日本ダービーは無観客で開催され、無敗三冠を達成した後は上下の世代に頂点に立つことを阻まれた。さらに海外遠征も社会情勢が許さなかった。そして何よりも、コンビを組んだ福永祐一騎手はコントレイルの引退を見届けるかのように翌年鞭を置くことを決めた。2024年5月時点での福永厩舎の活躍ぶりを見ても、これからは「名伯楽福永祐一が騎手人生の晩年に出逢った最高のパートナー」という文脈において語られることも多くなるだろう。福永師自身もコントレイルについて次のように語っている。

これだけは言いきれる。もしコントレイルに出会えていなかったら、自分は今でもジョッキーを続けていただろう。

福永祐一『俯瞰する力 自分と向き合い進化し続けた27年間の記録』(KADOKAWA、2024年)より引用

名手・福永祐一の人生を左右した馬。この一点だけでもコントレイルが掛け替えの無い名馬であることの証左となるだろう。コントレイルが感じさせる「寂しさ」はこの馬がもたらした「希望」の大きさと等価であるとも思う。

近年世界のトップレベルでの活躍も目覚ましい日本競馬において、今後もさらなる偉業は達成されるだろう。しかし、コントレイルが呼び起こす「望郷的な感情」「寂しさ」は唯一無二のものである。そして、コントレイルの「男無き影」には、コントレイルが「抒情詩」として語られるに足る全てが詰まっている。 

まとめに代えて、寺山修司の競馬詩「走る希望を見守ってやろう」から、コントレイルに相応しい一節を引用して本稿を終えたい。 

わたしたちは
目をあいて多くの絶望を見てきた

だが、目をつむりさえすれば
いつでも
希望を見ることができた

希望
それは一頭の馬のかたちをかりて

百万人の胸のなかから生まれた
約束のことばだ

目をあけて
走る希望を見守ってやろう

寺山修司「走る希望を見守ってやろう」(CD『涙を馬のたてがみに〜寺山修司・競走馬の詩〜』1995年)より引用

写真:Horse Memorys

著者:縁記台