関西大手私鉄の阪急が劇場、映画館や百貨店などを集約して展開

 東京・有楽町エリアは、関東の宝塚歌劇ファンの“聖地”と言える場所。宝塚歌劇団が定期公演を行う東京宝塚劇場があるのがその最たる理由です。

 ほかにも、阪急メンズ東京(旧有楽町阪急)、日比谷シャンテ(東宝日比谷ビル)、有楽町マリオン(有楽町センタービル)、東宝シアタークリエビル、ホテルのレム日比谷など、宝塚歌劇を事業として行う阪急阪神東宝グループ電鉄の関連会社 が多く点在しています。阪急といえば、大阪・京都・神戸に鉄道の路線ネットワークを持つ関西大手私鉄の1つ。しかしなぜこんなに東京のこのエリアで、一大娯楽・文化発信スポットを展開しているのでしょうか。


関西から東京進出、映画で有名な「東宝」も実は…

 阪急電鉄の創始者は、大正から昭和にかけて活躍した事業家の小林一三(以下敬称略)です。1907年(明治40年)に箕面有馬電気鉄道(現在の阪急電鉄)を創立し、鉄道事業を広げるかたわら、1913年(大正2年)に宝塚唱歌隊(のちの宝塚歌劇団)を結成。翌1914年(大正3年)に兵庫県宝塚市で第1回公演を実施しました。

 そして、1918年(大正7年)に帝国劇場で初めての東京公演を開催。当時の宝塚少女歌劇はその後、日本初となる歌と踊りなどに時事風刺劇を組み合わせた「レビュー」を取り入れ、『モン・パリ』『パリゼット』などが次々とヒット。日本全国で話題となっただけでなく、日本の舞台芸術界に革新をもたらしました。一方、東京出身の劇団員を増やし、歌舞伎座や新橋演舞場などでの公演で実績を積むなど、東京進出を着々と進めました。

 1934年(昭和9年)、満を持して、東京での拠点となる東京宝塚劇場が開場。こけら落とし公演は、レビュー『花詩集』でした。その後は戦争の影響を受け、1944年(昭和19年)に東京宝塚劇場に閉鎖命令が下され、終戦後は米軍に接収されて米軍専用の「アーニー・パイル劇場」となりました。1955年(昭和30年)に1本立てのグランドレビュー『虞美人』で再開。1998年(平成10年)から建物老朽化による建て替え工事が行われ、2001年(平成13年)にリニューアルオープンし、現在の劇場は2代目です。

 いまや映画で有名な「東宝」も、実は「東京宝塚」の略。日比谷は、宝塚歌劇のみならず、商業演劇、歌手芝居、ミュージカルなど東宝株式会社が手掛ける演劇の中心地となりました。いまはなき日比谷スカラ座(旧 東宝四階劇場、1998年閉館)や東宝演芸場(旧 東邦小劇場、1980年閉鎖)などもありました。


宝塚歌劇の「清く正しく美しく」をモットーとした事業開発

 なぜ、このエリアが大衆演劇の聖地となったのでしょうか。実は、鉄道事業で実績を積んだ小林一三による数々の戦略がありました。

 明治後半から大正にかけ、東京都民の娯楽の場と言えば、浅草でした。しかも、独身男性をもてなす演芸などが中心。小林一三のモットーは「家庭本位」かつ、宝塚歌劇団の「清く正しく美しく」であり、家族も女性も誰もが明るく朗らかに楽しめる場を作ることを、東京でも目指したのが、まず1つ。

 その場所として、関東大震災以降に都民が郊外へ移り住む傾向から国鉄有楽町駅の乗降客数が多かったこと。そして、休日に日比谷から銀座へ買い物に行く、遊びに行く人たちの流れもあったことなどが主な理由とのこと。当時すでに存在した日比谷公園、帝国ホテル、帝国劇場、日本劇場などと合わせ、大衆をメインとしたあくまで“健全な”一大娯楽文化空間を作ろうと考えました。小林一三が当時副社長を務めていた東京電燈株式会社(現在の東京電力)から日比谷エリアの“空き地”を入手したのも有名な話。

 小林一三がはこの一帯を“東宝劇場シティ化”したことで、日比谷エリアは大衆芸能の浅草やと芝居の築地と並ぶ東京の娯楽スポットとなりました。今でも有楽町や日比谷に、演劇だけでなく映画を見に行く人も多いでしょう。

 なお、小林一三は山梨県韮崎出身で、慶應慶応義塾大学を卒業。若いころから浅草で遊び、東京で芝居をよく見に行っていた“芝居通”であることでも知られます。


仕事終わりにも行きやすい交通アクセス抜群の立地

 JR有楽町駅を出ると見える、大きくそびえ立つビル。かつて有楽町阪急、今はメンズ専用百貨店として営業しています。そして、高架下をくぐって東京宝塚劇場へ向かう日比谷プロムナードを歩くと、「宝塚を観に来た!」という気持ちが高まります。一方、東京メトロ・都営地下鉄の日比谷駅から出て日比谷公園と帝国ホテルのそばを通って東京宝塚劇場に向かうのも非日常感があり、おすすめのルートです。

 宝塚歌劇の本拠地では、阪急電車に乗って宝塚駅で降り、「花のみち」を歩いて劇場に向かいます。うのも、東京にはない本場の雰囲気は格別ですが。しかし、大阪・梅田などの中心部から離れているのがネックです。有楽町は首都圏のほぼどこからでも便利な立地で、周辺にもホテル、ショッピングモール、レストランなどが多くあり、銀座は徒歩圏内。丸の内にも近いので、仕事終わりに夜の公演を観に行くファンもいます。公演の最後は必ず、出演者が大階段を下りるて豪華なにパレードでして終演。宝塚歌劇を観ると誰もが幸せな気分になって帰路につけるのも特徴です。

 特にコロナ以前は、劇場の前でファンが並んで出演者のを入り待ち・出待ちしていたのも恒例行事でした。ファンがきれいに整列して並び、出演者に声掛けを行う様子は、宝塚歌劇におけるマナーの良さが垣間見られました。江戸時代からの大衆向け演劇文化と一線を画す、「清く正しく美しく」楽しめる場を生み出した小林一三のモットーは、今も日比谷・有楽町エリアを歩くと随所に感じられます。