7月3日に発行される新紙幣に関する話題です。

3日に新紙幣の発行が始まりますが、このうち新一万円札に描かれるのが実業家の渋沢栄一です。渋沢の「ひ孫」にあたる方が山梨県北杜市に住んでいます。

男性にも影響を与えたという渋沢の人物像や教えを伺いました。

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新一万円札の顔となった実業家・渋沢栄一。

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銀行をはじめおよそ500の企業の育成に関わり、近代日本経済の礎を作った人物です。

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この映像は昭和3年=1928年に東京上野公園で開催された東京博覧会の映像で、渋沢の肖像はほとんどが写真のため、動く映像は極めて貴重です。

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渋沢栄一にゆかりがある鮫島員充さん、79歳。

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11年前に山梨県北杜市に移住し、陶芸を創作しています。

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鮫島さんの家系図です。

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鮫島員充さん:
「おふくろが渋沢栄一の孫なんです」

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つまり鮫島さんは渋沢のひ孫にあたります。

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鮫島さん:
「しょっちゅう(母が)栄一の話をしていました。週末はだいたい栄一のところにいっていた。いくと飴を口に入れてくれるのが楽しみだったとは聞いていますね」


 

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鮫島さんの母・純子(すみこ)さんが大切にしていた写真から渋沢が身近な存在だったことが分かります。

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鮫島さん:
「栄一が母の頭をなでなでしているでしょ?それが母としては嬉しい写真だったので好きな写真のひとつだった」

鮫島さん自身は渋沢に直接会ったことはありませんが、母・純子さんからの話を通じて渋沢の存在の大きさを感じていたといいます。
 

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鮫島さん:
「小さい頃になんかいたずらしたり、悪いことしたりすると、『あなたは立派なご先祖さまがあるんだから、しっかりしないといけない』と言われる。それが嫌で仕方なかった」

苦い記憶がある一方、渋沢の考えは鮫島さんに大きな影響を与えていました。

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鮫島さん:
「世のため人のために尽くしたいというのが一心だったというのは聞きました」

特に鮫島さんが社会人となり企業の代表取締役になるまで様々な場面で「渋沢の教え」が生きたと振り返ります。

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鮫島さん:
「会社の経営というのは金もうけのためにやるんじゃないんだよ、というのはそれが一番会社経営するときにいつも思い出しながらやっていましたね」

 

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「利益よりも前に世の中、人のためになっているかという方がプライオリティが高いはずであると思っていましたね」
 

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渋沢の教えを説いてくれた母・純子さんは去年、他界。

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鮫島さん:
「おふくろがいる間に新札がでたら見せてあげたかったなと思います。1年(亡くなるのが)遅れたら…」


 

新札を手に取ることはできませんでしたがお札に載せる渋沢の顔の確認に携わっていたたそうです。

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鮫島さん:
「母も新札の絵を見て栄一が思い浮かぶかというチェックを頼まれてやったというのは聴いた。だからよく似ていると言っていましたね」


 

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また鮫島さんは、退職後に北杜市に移住してきましたが、この北杜市が渋沢のゆかりの場所ではないかと感じています。

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鮫島さん:
「渋沢家のルーツは甲斐源氏であるというのを渋沢は本に書いてある。甲斐源氏というのは北杜市なんですよね。渋沢資料館の方が調べにきたのだが確証は持てていないだけど渋沢栄一のルーツが僕を呼んだのかもしれないと思っています」

そして今も渋沢の教え通り「人のために尽くしたい」という思いを持ち続けています。

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鮫島員充さん:
「北杜にお役に立てることがあればしたいと思うけれどもう年だから。あとはこのままこのペースで生きていきたいなと。最高の老後を楽しんでいます」