2023年に芸歴35周年を迎え、吉本新喜劇の看板女優として活躍中の島田珠代さん。近年では持ちギャグの「パンティーテックス」が大バズりし、テレビにも活躍の場を広げている。

ハチャメチャでパワフルな芸風が「見ているだけで元気になれる」「悩みが吹き飛ぶ」と、老若男女から絶大な人気を誇っているが、舞台やテレビには映らない「本当の珠代さん」とは、一体どんな人物なのだろう。稀代のコメディアンの仕事に対する考え方や忘れられない恋愛、そして心の中に秘めた本音について、大いに語ってもらう。

今回は、子どもの時の習い事について。真面目で堅いイメージの習い事から、現在の仕事にも通じる大切なことを学んだのだそう。

■心を映す書の道
お笑い芸人という仕事からはあまり想像がつかないかもしれませんが、私は幼い頃に書道を嗜んでいました。母が師範だったこともあり、大会の時期になると毎日のように文字と向き合い、書道教室の先生に指摘してもらう日々を過ごしていたんです。

書道の英才教育といえば聞こえはいいですが、今思い返すとすごくスパルタだったなと思います。たとえば、どんなにおなかが空いていても、いい字が書けるまでご飯は食べられません。自分のおなかがひな鳥のようにエサを欲しがってぎゅるぎゅると音を立てても、とにかく精神を集中させて、いい文字を書くことに没頭しました。

練習を重ねていくと、「やっといい文字が書けた!」と思える瞬間がやってくるのですが、それまで書けなかった悔しさなのか達成したうれしさからなのか、半紙にぽつりと涙が落ちて台無しになったこともあります。またご飯が遠のいて心が折れかけたときに、父から「頼むからご飯を食べさせてやってくれ」と母に進言があったことは今でもよく覚えています。

私には姉がいるのですが、そんなスパルタ教育を受けて育ったからなのか、姉妹で大会に出場しているとまわりからは〝鬼の島田兄弟〟という異名で呼ばれるようになりました。書道を嗜む姉妹なんだから、もっと清廉な通り名がよかったと思わずにはいられません。

どこまでもついてまわると思っていた書道。その終わりを告げたのは12歳の頃でした。父が脱サラして新しい仕事を始めるにあたって、生活環境がガラリと変わったことが大きな理由です。引っ越しだけでなく、母もお店の手伝いをするようになり、母自身が書道から離れることになります。

書道のことを思い出すと「大変だったな」という気持ちが大きいですが、それでも基本的には好きだったんでしょうね。今でも時間が許すなら書と向き合いたいと思っています。ただ、実際に書くとしたらやっぱり墨を擦りたいし、終わったら硯をきちんと乾かしたい。そう思うと、とてもじゃないけど気軽に文字を書くことはできないな、と二の足を踏んでしまいます。

ただ、書との出合いは私にとってすごく重要でした。お笑いの道に進むというときの精神力、ネタと向き合う集中力は、書道をある程度続けたおかげで手に入れられたものだと思っています。

取材・文=山岸南美