「カバが街を走ってる……」二度見必至の超絶インパクト! 老舗お菓子メーカーの「カバ車」がスゴい!!

この記事をまとめると

■「カバヤキャラメル」で有名なカバヤ食品は宣伝用のクルマを作っていた

■「カバ車」と呼ばれるクルマを運用していたが1959年ごろに役目を終えた

■2006年に創業60周年を記念して、兵庫県尼崎市の高校生たちが「カバ車」を復活させた

カバの形をした奇想天外マシン!

 ちょっと小腹がすいたときや甘いものが食べたいときに、コンビニで手軽に買えるチョコレートやグミなどはありがたいものですよね。先日もつい手に取ったフルーツグミや、パンダがかわいい「さくさくパンダ」。それらは戦後すぐから日本の子どもたちに菓子メーカーとして愛されてきた、長い歴史を持つカバヤ食品の商品です。

 70代以上の人なら、赤い箱が目印の「カバヤキャラメル」を覚えているかもしれないですね。1946年に創業したカバヤ食品は、戦後のモノ不足、甘いもの不足の時代に大きな夢と希望をもたらす、このキャラメルの製造からスタートしています。

 社名の由来は、当時カバには「おとなしく、平和を愛する」というイメージがあり、平和な社会を建設するという国民の気持ちにピタリと一致したこと。また、カバの大きな口にたくさんの美味しいものが食べられる時代を願ったことが由来だとされています。

 経済成長とともに順調に売り上げを伸ばしていたカバヤ食品ですが、1952年、総合菓子メーカーを目指してさらなる宣伝をするために製作したのが、カバにそっくりなクルマ「カバ車」。当時はまだテレビが各家庭に普及しておらず、動物園に行っても動物の種類は限られていました。そこで、本物ソックリなカバのクルマを作って、全国の子どもたちに喜んでもらおうと考えたのだそうです。

 渡辺節さん(元トヨタカローラ岡山代表取締役会長)が書かれた『おかやま自動車物語』には、当時の様子が書かれており、カバヤの創業者のカバの宣伝カーの発案を受けて、構想から生産に至るまでには相当な苦労をされたのだとか。ベースとなったのはトヨタのトヨペットトラック1000ccで、カバの模型を試行錯誤しながら粘土で作り、広島県の腕のいい板金職人によって鉄板を打ち出したようです。カバ車は1台ずつ手作りのため、顔の表情が少しずつ違っていたというのも特徴です。

 さらに1953年には、1頭の子カバをドイツから購入し、「カバ子」と名付けて水槽付きのトラックに乗せて西日本を中心にまわり、子どもたちに大人気となったそう。当時の子どもたちの喜びようが目に浮かびますね。

 そして、だんだんとテレビの普及にともない、カバ車やカバ子の活躍は少しずつテレビCMに取って代わられてしまいます。15台ほどが製作されたカバ車は、北海道から鹿児島まで、まさに日本を縦断する活躍ぶりでしたが、1959年頃には役目を終えたということです。

約50年後に奇跡の復活!

 ところが。2006年の創業60周年に、なんと記念事業としてカバ車が復活を遂げたのです。しかも製作したのは、兵庫県尼崎市の高校生たち。当時の校長先生がカバヤ食品に「ぜひ復刻させてほしい」とラブコールを送り、産学共同の製作プロジェクトとして実現。今回はトヨタ・エスティマがベースとなりました。

 さらに、2011年の創業65周年には、このカバ車にガールフレンドができます。全国の高校生からデザイン案を募集し、最優秀デザインとなった姫路市の高校生と、板金塗装会社がタッグを組んで製作されたもので、ガールフレンドのベースはトヨタ・エスティマハイブリッド。ふっくらとした女性らしいフォルムで、頭の上のリボンが愛らしいデザインです。

 そして、名前も全国から募集し、復刻カバ車が「クッキーくん」、カバ車ガールフレンドが「チョコちゃん」と決まりました。このようにカバ車の復刻によって、多くの少年少女たちが再びワクワクし、夢の実現のために一歩を踏み出すきっかけとなったことは、とても素晴らしいことだと感じます。

 カバヤ食品は2016年から世界一の企業になるという挑戦を始めています。でっかいカバ車に目を輝かせた70年前の日本の子どもたちのように、まだまだ世界のどこかには、カバ車のような夢を待っている子どもたちがいるのでしょう。