最近、経済安全保障という言葉が普通に使われ始めた。戦後、国会の予算委員会やマスコミの論壇では、安保問題が常に花形の話題であったが、経済界や一般国民は、むしろ一貫して戦後復興に関心を寄せた。自由主義圏に参加を認められた日本国民の懸命な努力は報われて、早くも60年代には高度経済成長を実現し、ドイツ、イギリス、フランスの経済規模を抜いた。少子高齢化で減速した21世紀の今も、日本は、米国、中国に次ぐ世界第三の経済大国である。

本気になった米国に、対中制裁の手を緩める兆しはない (AFP/AFLO)

 冷戦期間中、日本人の多くは、日米同盟の分厚い被膜が日本の安全を確保しているという現実を見てこなかった。日本経済の繁栄は、日米同盟という温室の中に咲いた大輪の花であるという自覚はなかった。しかし、温室の外側では、厳しい東西冷戦の寒風が吹き続けていた。北海道の陸上・航空自衛隊員は、ソ連の軍事的重圧をひしひしと感じていたが、日本経済にとって、ソ連の経済的な存在感はあまりに小さく、ソ連との対峙も、ソ連の消滅も、あまり響くところがなかった。経済と安保は、別次元の問題として認識されていた。

米国内の振り子は
明確に反中へ

 70年代に米中・日中国交正常化が成立した時、世界の戦略的な均衡は大きく変わり、中国が西側と連携するようになった。日本は中国の発展に大きく貢献した。天安門事件後も、日本が率先して中国を西側に引き戻した。天皇陛下の訪中が実現したことに加え、中国の世界貿易機関(WTO)への加盟の際も日本は熱心に働きかけた。「中国は、いつか日本のようになる」と誰もが信じて疑わなかった。

 ところが、21世紀に入り中国の国力が急伸し、中国は変わった。既に、中国の経済力は、日本の約3倍であり、米国の約7割に達している。中国の軍事費は日本の4倍を超える。パンダは、虎となり、龍となった。南シナ海、フィリピンのスカボロー礁、そして、日本の尖閣諸島でも、力を誇示し、行使することをためらわなくなった。香港の自由も圧殺しようとしている。今の中国は、かつての大清帝国の版図を復元しようとしているかのようだ。

 ここにきて米国が、中国の動きに猛然と反発するようになった。中国の求めるアジア新秩序は、米国が戦後75年かけて築いてきたパックス・アメリカーナへの挑戦だと受け止めたのである。米中大国間競争時代の始まりである。今では、米国防総省のみならず、多くの米企業も、知財問題をはじめとして、競争相手となった中国企業の不公正さを訴えるようになった。米国内の振り子は反中へと大きく振れた。この傾向は、たとえバイデンが大統領になっても変わらないであろう。