放送作家と脚本家を引退して、セカンドキャリアへ本格的に踏み出した鈴木おさむさん(51)。宮藤官九郎さん脚本のドラマ「不適切にもほどがある!」で描かれたように、テレビ現場は疲弊していると指摘しますが、「それは引退の直接の理由ではない」と語ります。ベンチャーファンドで叶えたい夢についても聞きました。(朝日新聞デジタル企画報道部・森下香枝)

番組をつくるハードルが上がった

――鈴木さんの著書「仕事の辞め方」(幻冬舎)には、テレビの仕事をしていた時、自分も「ソフト老害」かもと思った体験などが書かれています。

32年のキャリアがあるので僕は放送作家としてはベテランで、作り手というだけでなく、プロデューサーのブレーンとしての立ち位置にもなっていきました。
若手の良い企画を、僕のふっとした発言で無意識につぶしていたこともありました。自分が絡むのではなく、若手の作家とディレクターがやった方がいいと思いました。

――宮藤(くどう) 官九郎さん脚本の「不適切にもほどがある!」は、コンプライアンスでがんじがらめになったテレビ界がブラックユーモアで描かれていました。そうした不自由さも引退の要因になったのですか。

宮藤さんの「ふてほど」の切り口はさすがだと思いました。
テレビはスポンサーからお金を集めて放映するビジネスモデルなので、スポンサーから「そうした表現はやめてくれ」といわれたら、やめないといけない。

さらに今はネットで視聴者が番組についての不快感などを自由に発信できるし、コンプライアンスが何より重視される時代。この三つが重なると番組はミニマムにならざるを得ない。

番組をつくるハードルが上がり、現場はかなり疲弊しているが、それは直接の引退の理由ではありません。

放送作家の仕事「楽しいと思ったことはない」

――ではなぜ「引退」なのですか?

放送作家として20年以上、関わった番組「SMAP×SMAP」はテレビの全盛期にはじまり、2016年末に終わりました。

その後も演出、脚本、プロデュースなど魅力的なお仕事をいただき、結果も出せてきたけれど、アドレナリンが出づらくなり、スイッチが入りきらないなと感じるようになっていきました。自分が死んでいることに気づいていない、亡霊のようになった状態なんですね。

――仕事が楽しくなくなったのですか?

そもそも32年間、放送作家の仕事をやっていて楽しいと思ったことはないんですよ。
僕は目の前の人に認められたくて頑張ってきた。ほめられると「やったー」とうれしくなるけど、「次も結果を出さないと」という緊張も絶えずありました。

ファンドの仕事を本気でやる

――引退後は何をするのですか。

僕はいま、ベンチャーファンドを立ち上げ、スタートアップ企業を応援する仕事をはじめる準備をしています。実は5年ほど前から僕のオフィスの下の階にシェアオフィスを作っていろんなスタートアップ企業に無償で提供してきたんです。

20代の若い起業家と飲んでいる時、「俺、今の仕事辞めたら何しようかな。何に向いている?」と尋ねたんです。
すると「ファンドの仕事を本気を出してなぜ、やらないんですか」と言われ、「あーそうか」と自分の中で合点がいった。意外に自分のことは自分ではわからないものです。

放送作家の「片手間」だと彼らも本気で向き合わない。僕が辞めるといえば、この人、本気だなと思うじゃないですか。

――インスタグラムで会社名「ゴーイングメリー」を発表しました。ベンチャーファンドで「プロデューサー」のような役割を担っていくのでしょうか。

テレビでやっていた仕事を移植してスタートアップ企業を育てていくイメージです。
その中からサイバーエージェントのような、ユニコーン企業を出していきたいと考えています。そう思うとアドレナリンが出ますよね。