「子どもにはなついてもらったのですが、保護者からは……」。先天性の脳性麻痺がある男性は20年ほど前、保育士を目指したことがありました。現在は障害者雇用コンサルタントとして活躍していますが、障害が理由で夢を諦めたことをどう振り返っているのでしょうか。(withnews編集部・金澤ひかり)

高校時代に向き合った「障害者として働く」

企業や障害のある当事者に、障害者雇用コンサルタントとして働き方を助言している黒原裕喜さん(37)は、15年間外資系の医療機器メーカーに勤めたのち、「障害者雇用の拡大を通じて多様性のある社会を目指したい」と独立しました。

黒原さんには運動障害と言語障害がありますが、保育園から高校まで、学校生活は健常者と共に過ごしてきたそうです。

「健常者も障害者も区分なく同じ環境にいることが当たり前でした。そのため、高校生になるまで『障害者として働く』という考えをしたことがありませんでした」
ところが、黒原さんは、高校時代に始めようとしたバイトで、改めて自分の障害に向き合うことになりました。

「おそらく障害が理由だと思いますが」としつつ、バイト先候補に選んだ職場の面接は、全て落ちたといいます。「自分が社会で働くことができるのか、自信をなくしました」

保育施設でのボランティアで「諦めた」

一方で、黒原さんには、就きたい職業がありました。高校卒業後、保育の専門学校に通ってから保育士になることでした。
ただ、ここで立ちはだかったのが運動障害。保育士はピアノを弾く機会もありますが、黒原さんは手がこわばる症状があり、ピアノが上手く弾けないことをハンデに感じていました。

手術での改善に望みをかけ、高校を1年間休学し、手術とリハビリに励み、保育施設でのボランティアに挑戦しました。

そのボランティアが、黒原さんが保育士をスッパリ諦めるきっかけになりました。

「子どもたちはなついてくれるんですが、言語や運動機能に障害のある私の保育を、保護者が不安がっていたんですね」

複数回にわたった手術も、劇的にピアノを弾けるほどの運動機能の向上をもたらす結果にはなりませんでした。

「ボランティアを通じて、自分ができないことや保護者の信頼を得られなかったことがわかったとき、『それはプロとしてどうなんだろうな』と思ったんです」

「諦めるときにはちゃんとやりきってから諦めたいと思っていた」と話す黒原さんにとって、この経験が、諦めるための十分な理由になったのだといいます。

時代背景違う現在「求職者側・雇用者側にできることある」

ただこれは、雇用分野における障害者差別の禁止、合理的配慮の提供義務が記された改正障害者雇用促進法が施行された2016年よりも前の話で、「社会の雰囲気も異なっていた」と黒原さんは話します。

「時代背景として、いまよりも『決められたことを決められた通りやって当たり前』の時代だったように思います。そんな中で、『ピアノを弾けないと本当に保育士になれないのか』という疑問は、当時高校生だった自分には持ちにくかった」

「もちろん当時だって、超えるべきハードルはあったと思いますが、それが話し合いでどうにかなるかもという考えがありませんでした」

現在、黒原さんは障害者雇用コンサルタントとして、障害者自身の自己理解を深めるため、当事者に助言をしつつ、障害者雇用を推進しようとする企業へもアドバイスも行い、障害者雇用を拡大させようとしています。

もし過去の自分と同じような職業選択を希望する障害者がいたら――。

「求職者側にも、雇用側にもできることがあると思います」と黒原さん。

「まずは、求職者側の能力として、できることと、できないことの洗い出しをします。できないことが見つかったときに、そのハードルをどう越えていくかを一緒に考えます」

「福祉資源を使うこともできるかもしれないし、もしかしたら求職者が『できない』と思っていることも、両者の話し合いで視点が変わり、できるようになることもあるかもしれません」と提案します。

「『健常者であればどんな職業にも就ける』というわけではないのと同じように、障害者自身も自分の特性と向き合った上で自分にあった職業を見つけていけるのが理想です」