女性にとって大きなライフイベントである、結婚・妊娠・出産。出産後も好きな仕事を続けていきたいと思いながらも迷いや不安を感じる方は少なくないのでは……?

妊娠・出産=現役引退……そんな女子サッカー界の常識を覆し、WEリーグ初の「ママプロサッカー選手」として活躍する元なでしこジャパンの岩清水梓選手。そんな岩清水選手による出産・子育てエッセイ『ぼくのママはプロサッカー選手』(小学館クリエイティブ)より一部抜粋して、連載(全5回)でお届けします。

第1回の本記事では子どもを授かり、結婚を両親に伝えた際のエピソードをお届けします。

結婚を前提に付き合っていた現在の夫と実家に赴いた岩清水選手。静かにブチギレている父。一方、母は思いもよらぬことを言い出し……

プロローグ

写真:佐野美樹 『ぼくのママはプロサッカー選手』より

その日は、いつになく緊張していた。両親はどんな反応をするだろうか。

妊娠、結婚、そして引退。

自分の人生のなかで起こりうるビッグイベントのトップ3を、これから一気に伝えるのだ。でも、いっぱい考えて自分で決めたこと。なんの後悔もない。きっちり、すべて報告して、区切りをつけ、前に進もう。そう思っていた。いや、本当に。自分の実家へ向かっていたこのときは。

結婚を前提に付き合っていた現在の夫と二人で私の実家へ行くと、父はソファに座り、母は台所に立っていた。私たちはその間に入る形で、ダイニングの席に着いた。

まずは、二人の間に子どもを授かったこと。そして結婚することを伝えた。母はビックリしながら振り向くと、おめでとう、と言った。

私はありがとう、と返すと、そのまま言葉を続けた。

「これを機に、もう引退しようかなと思っています」

すると、視界の片隅で、超がつくほど「スポ根」の父が、静かにブチギレているのが確認できた。……わかる。わかります。父がキレているのは、「選手たるもの、シーズンの途中で、私的な理由で引退するなど、一体どういうつもりだ」ということだ。怒るのも当然だし、それは私も散々悩んだことだし、父がそういう反応を示すことも覚悟の上だった。でも、怖くて見られないので、母のほうだけを私は向いていた。

すると母は、思いもよらない言葉を口にした。

「えー、やめちゃうの? もったいないじゃん」

一瞬、どういうことか理解ができずにいると、さらに母は続けた。

「だって、宮本さんも代表にお子さんを連れてきてたり、アメリカ代表の選手だって子どもを連れてきてやっているんじゃないの?」

その言葉を聞いて、ハッとした。そう、そんな話を私は以前からよく母にしていた。

母が言った「宮本さん」は、私も2007年のワールドカップで一緒にプレーした日本代表の先輩で、現在はなでしこジャパンのコーチを務めている宮本ともみさんのこと。日本で初めて出産を経て日本代表に復帰した選手で、代表のキャンプにお子さんを連れてきたのを見たことがあった。当時まだ20歳くらいだった私にとって、その光景はとても新鮮で、今でも目に焼きついている。

アメリカ代表の選手もまた、とても刺激的だった。世界大会などで一緒になると、試合後やトレーニング後に、観客席から自分の子どもをピッチに下ろして抱っこしたり、写真を撮ったり、一緒にはしゃいだりしていた。その様子を初めて見たときは、男子選手だけじゃなく、女子選手もこういうことができるんだ! と衝撃を覚えたものだった。

そして私は、そんな場面に出会うたびに、「すごくいいよね」と話していた。それを、母はちゃんと覚えていたのだ。

そんな母の思いがけない言葉に、「たしかに、いつもいいなぁと思いながらその光景を見ていたわ!」と我に返った。

どうしたことか、すっかりその景色を忘れていた。それまではずっと覚えていたのに。ただただ、自分のモチベーションの下がり方と、サッカーを続ける理由探しのほうにばかり気を取られていて、気づかない間に思考がきっとネガティブになっていたのだ。そしていつの間にか、妊娠したことを引退する理由にしようとしていた。

ベテランになってくると、チャレンジすることも少なくなる。いつからか、試合でも若手にチャレンジをさせて、自分たちベテランはどっしり構えて締めるところを締める、といったゲームの運び方をするようになっていた。それは経験則もあるけれど、モチベーションも関係しているように思う。

しかし、そんな私のなかのチャレンジ精神の種火も消えそうになっていたところに、母の言葉は一気に燃料を投下した。

「私も子どもと一緒にピッチに立ちたい!」

だって、それに挑戦するチャンスは、今の私にしかないから……!

写真:佐野美樹 『ぼくのママはプロサッカー選手』より

そこから一瞬にして、私の頭のなかは出産後の復帰のことでいっぱいになった。

復帰って、どんな感じなんだろう? 自分が産んだ子どもを抱っこして一緒に選手入場なんて、日本の女子サッカーでは見たことがないし、それを達成できたらカッコいいよね。

でもそうなると、産後に復帰してスタメンを勝ち取らないと一緒に入場はできない。ってことは、産前産後もトレーニングをがんばらなきゃ―。

どんどん、ワクワクが広がっていく。あれだけ悩んでいたのはなんだったんだと思うほど、サッカーへのやる気とモチベーションが急激に上がるのがわかった。

やっぱり、自分の主軸には常にサッカーがあって、そのモチベーションが上がれば、自分の人生も明るくなるんだと、改めて思い知った。

「大変かもしれないけど、やってみてダメならダメでもいいんじゃない? みなさんにごめんなさいって謝ればいいんだから」

そんな母のゆるい言葉もまた、さらに背中を押してくれた。そうだよね、「絶対復帰」とか気負わずに、挑戦するのもいいよね、と。

実家から帰るころにはもう、「やるわ」とはっきり両親に告げていた。

スポ根の父は黙ったままだった。きっと思うことはあったのだろうけれど、そこは母に任せて、私たちは実家を後にした。

あれだけ、決心してきたのに。

一瞬で、あっさり考えが変わってしまった。なんなら、眼前の光の差しこみ方すら変わって、帰り道は見えるものすべてがキラキラと輝いて見えた。

さぁ、そうとなればなにから始めたらいいのだろう。前例もほとんどないし、情報を集めるところから始めないと……。その前に、チームを離れる前の最後の1試合、決勝戦でしっかりタイトルを取らなければ。

もう私の頭には、前向きなことしか浮かばなくなっていた。

著:岩清水 梓『ぼくのママはプロサッカー選手』(‎小学館クリエイティブ)より再編集/マイナビ子育て編集部

ぼくのママはプロサッカー選手(‎小学館クリエイティブ)

(2024/05/01 現在)
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