歌手のフランク・アイフィールドさんが死去した。86歳だった。

 アルプス地方の歌唱法ヨーデルを取り入れ人気を博したオーストラリア出身のフランクが、18日夜に安らかに亡くなったことを、友人で歴史家、音楽ジャーナリストのグレン・A・ベイカーがフェイスブックに発表している。「デヴィッド・アイフィールドから電話で、兄弟のフランク・アイフィールドが土曜日夜に86歳で安らかに逝ったことを伝えられた。この素晴らしい男について言えることは山ほどある。イギリスで4曲のナンバーワンを記録し、そのうちの3曲は(彼のコンサートで前座をしたこともある)ザ・ビートルズ以前のものだ」「『アイ・リメンバー・ユー』が世界中で消えることのないヒットとなり、完璧な代表曲となったことを思い出す。その曲はイギリスチャートで7週トップとなった」「フランクの兄弟、そして彼の妻キャロルにお悔やみを言うこと以外の言葉は今はない。そして今年初めに彼に会えたことは本当に幸運だった。僕はまだ考えをまとめている状況だ」

 イギリスで生まれ、オーストラリアで育った後1959年にイギリスに戻ってきたフランク、オーストラリアのシドニーにいた幼少時代にカントリー音楽やヨーデルにはまり、13歳の時に祖母からギターをプレゼントされ、曲作りを始める。

 そして19歳の時までにすでに44枚のレコードをリリース、オーストラリア、ニュージーランド、タスマニアでトップのレコーディングアーティストとなった。

 その後イギリスに戻ったフランクは1960年代に同国で人気を博し、『アイ・リメンバー・ユー』『ラヴシック・ブルース』『ザ・ウェイワード・ウィンド』『アイム・コンフェッシン(ザット・アイ・ラヴ・ユー)』の4曲でシングルチャートの首位を獲得する。

 一方、フランクはツアーでザ・ビートルズを前座に選び、自身のファンに紹介してもいた。

 1970年代、80年代もアルバムを出し続けた後、レコーディングアーティストから引退したフランク、2005年には回顧録『アイ・リメンバー・ミー:ザ・ファースト25イヤーズ』を出版、その4年後にはエンターテイナーとしての芸術分野への貢献を称えられオーストラリア勲章が授与されていた。

 フランクは妻キャロル・ウッド、そして元妻ジリアン・ボウデンとの間にできた2人の子供を残して旅立った。

(BANG Media International/よろず〜ニュース)