お笑いコンビ・レイザーラモンのHG(48)がこのほど、よろず〜ニュースの取材に応じ、プロレスラー時代を振り返った。スターダム・岩谷麻優の半生を描いた、公開中の映画「家出レスラー」(ヨリコジュン監督)ではレフェリー役で出演。共演した朱里とは、プロレス団体「ハッスル」で同時期に所属した。希望と絶望が交錯したレスラー時代、今作の撮影を思い返し、プロレスへの大きな愛情を語った。

 映画の役柄と同じレフェリー姿で取材に現れたHG。ゆきぽよら女優陣は撮影前に、朱里が指導するプロレス特訓に参加したが「僕はレフェリーを練習するために行ったのに、朱里選手に言われて、なぜか一緒に受け身、ロープワークをしていましたね」と苦笑い。2008年10月にKG(カラテガール)として「ハッスル」でデビューした朱里を間近で見ていただけに、映画共演は「感慨深いですね」とうなずいた。

 「ハッスル」は〝ファイティング・オペラ〟を掲げ2004年に総合格闘技イベント「PRIDE」の運営会社などにより立ち上げられた。橋本真也、小川直也、天龍源一郎、ミルコ・クロコップら一流レスラーや格闘家に加え、和泉元彌、泰葉ら著名芸能人が参加。テレビのワイドショーで連日取り上げられるなど、プロレスの枠を超えた話題を提供した。しかし、PRIDE消滅に伴う運営会社の変更などで08年から資金難に陥り、09年12月に実質的な消滅を余儀なくされた。坂田亘を中心に復活を目指す動きもあったが、志半ばで力尽きた、とみるのが一般的だろう。

 HGは中学時代に全日本プロレスに傾倒し、同志社大学進学後は学生プロレスに励んだ。1回生後輩には、立命館大学で学生プロレスに取り組んだ棚橋弘至(現新日本プロレス社長兼選手)がおり、リングでの交流もあった。「棚橋は1回生の頃からプロレスラーになると宣言していて、当時から体もすごくてレスリング技術もあった。こういうヤツがプロレスラーになるんやな、と思っていたら、彼が2回生の時かな、一度新日本の入団テストをあっさり落とされたんですよ。棚橋でも落ちるんや、とショックで。僕もプロレスラーになりたかったんですけど…」。プロレスに尻込みする気持ちが芽生え、もう一つの夢、芸人へと向き合っていった。

 HGは2005年に入り〝ハードゲイ〟キャラを武器に大ブレークした。同年11月に「ハッスル」でデビューすると連勝発進。同年の大みそかは午前1時まで三重・志摩スペイン村でのカウントダウンイベントに参加し、午前5時までテレビ東京で生放送される「今年も生だよ!芸人集合 2006年最も売れる吉本No.1伝説」出演のため、空路ヘリコプターで移動。強行出演後も元日には、日本テレビ「大笑点」、フジテレビ「第39回爆笑ヒットパレード」を経て、再び「大笑点」に。生出演が終わってもフジ「第43回新春かくし芸大会」、日本テレビ「行列のできる法律相談所SP」、フジ「ブンブンお正月!正月からどこ見てんのよ!?ジャリバラ!SP」と、怒とうのテレビ出演を果たしている。

 芸人としての大ブレークする中、HGの心にはプロレスもあった。「まあ楽しかったですね。夢だったプロレスラーに巡り巡ってなることができて、メチャクチャに楽しかった。当時は安生(洋二)選手、TAJIRI選手、PRIDEの小路(晃)選手らが道場にいて、レスリングテクニックを教えてもらいました。週2回の合同練習は、仕事をオフにしてもらって全て参加するくらいハマりました」。当初はコミカルなキャラだったが、次第に「ボケゼロになったこともありましたね」と本格派へと変わっていった。いつの間にかRGも参戦し、コンビでハッスルを盛り上げた。

 HGは「ロックアップなど基礎から教えていただいた。やっぱりロックアップから始まる試合が好きなんですよね。ハマっていくうちに、キャラクターを忘れて、コミカルな動きも自然になくなっていきました」と苦笑した。それは天龍源一郎との交流が転機だった。

 「天龍さんの存在が大きかった。みんなに芸人がなんぼのもんじゃい、お前らできるのか、という目で見られたと思いますし、天龍さんも最初は目も合わせてくれなかったんですけど、練習に参加していくうちに、一生懸命やっていると思ってくださったのか、徐々にプロレス、パフォーマンスの話をしてくれるようになりました」

【次ページ】ハッスル経営難、暗黒のギャラ未払い状況に

 プロレスにまい進していく中、2008年からハッスルの経営が悪化の一途をたどった。同年下半期からギャラの未払いが始まったという。09年2月にはインリン様こと、インリン・オブ・ジョイトイ側がハッスルを提訴し、経営難が表面化した。「皆がギャラをもらっていない状況でした。僕も吉本(興行)に対して『ハッスル側から振り込まれていません』『マジか』というやり取りがあったんです」と回想した。

 後楽園ホール大会での出来事だった。天龍にギャラのことを尋ねた。「天龍さんは『オレももらってないよ』と言うんです。そして『こんなのプロレス業界では〝あるある〟だから。今は目の前にいる後楽園のお客さんを満足させろ。全力を尽くせ』と話されました。天龍さんといえば、お笑い界では(ビート)たけしさん、(明石家)さんまさん位の立ち位置の方が、ギャラをもらわずに『全力で試合をやろう』と話すことに本当に感動しました。それを見た皆が一丸となって、興行を盛り上げようと切り替えられました。未払いのままで1年くらい頑張ったことは、とても印象に残っています」

 しかし、限界が訪れた。2009年7月26日の両国大会で、高田総統(高田延彦)、ボノちゃん(曙太郎)らがハッスルを離れた。4日後の後楽園大会、メーンはHGとTAJIRIの一騎打ちだった。「控室から入場口に向かう細い階段に座って、セミファイナルの音だけを聴いていました。RGと天龍さんのタッグマッチ(対越中詩郎&KG)だったんですかね。歓声がすごくて、盛り上がってたんですよね。じゃあメーンはもっと盛り上げないと、いい試合をしないと、とプレッシャーを感じていました」。試合終盤だった。場外へ空中技(プランチャー)を仕掛けた際、着地に失敗。左足かかとを粉砕骨折した。

 長期入院を余儀なくされ、芸人の仕事もできなくなった。収入がほぼなくなった。その状況を見かねたのか、吉本興業からハッスル未払い分から相当の額が、HGに支払われたという。「当時、ハッスルから吉本に月2万円返済があると聞きました。RGの分と合わせて、何十年かかるんやろう、と思いましたね」。ハッスルは同年12月、新団体SMASHにKGら所属選手が大量移籍する格好で、実質的な消滅を迎えた。HGは翌年春に芸能活動を再開するとともにプロレスからの引退を表明。同年秋にDDTで限定復帰しているが、「僕が復帰できるころにはハッスルはつぶれていて、後味の悪い感じで終わってしまった」と、残念そうに話した。プロレスラーとしては、ハッスルとともに終幕を迎えたのだろう。

 映画「家出レスラー」で描かれる岩谷麻優とは、約2年半前、スターダムのCS番組でMCを務めることを機に接するようになった。「ハッスルが終わってからもプロレスは見ていますし、プロレスラーへのリスペクトはハンパないと思っています。もっと稼いでいいし、もっと尊敬されていい、と常々思っています」と熱いプロレス愛を語り、岩谷に対しては「スターダムを見るようになって思ったのは、やはり岩谷選手はアイコンなんですよ。試合もそう、後輩への立ち振る舞いをもそう。尊敬できるレスラーの半生を描いた作品に参加できて嬉しいです」と語った。

 映画ではスターダムの経営危機に直面する中で、〝ポンコツ〟だった岩谷に覚悟が芽生え、アイコンとして成長を遂げる姿が描かれる。現在はスターダム社長に就いた岡田太郎氏は、同志社大の学生プロレス後輩にあたり、映画ではプロデューサーの立ち位置だった。「彼が撮影現場を仕切っていたんですけど、後楽園ホールでのクランクアップであいさつするのを聞いて、選手のことを考えて求心力があるな、と思いました。今、ロッシー小川さんが辞めて大変な時期ですけど、プロレス業界が盛り上げるとポジティブに切り替えていて、素晴らしいと思いますね」と、頼もしく見つめている。

 岩谷をモチーフとした主人公・マユを演じた平井杏奈に対しても「プロレスの動き、入場の所作、歩き姿とかも完璧で、同僚レスラーが本人と間違えるほどの役作りでした」と感心したHG。「夢を見つけられなくて悩んでいる人、一歩踏み出せずにいる人みんなに刺さる映画。プロレスを知っていても知らなくても楽しめると思います」とアピールした。

 4年弱のプロレスラー人生。「芸人とプロレス、2つの夢をかなえられたんですから、贅沢な人生ですよね」。そう語ったHGの表情は、とても誇らしげだった。

(よろず〜ニュース・山本 鋼平)