急斜面、最後の「神輿下ろし」 京都・与謝野の弓木区「感無量」

滝川直広
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 ふだんは人気のない城山の頂に、明けやらない時分から100人近い男性が集まり、熱気にあふれていた。1日は春の例祭「岩滝祭」。午前6時、ほら貝の音が響いた。一歩間違えれば転げ落ちそうな急斜面を、白襦袢(じゅばん)に足袋姿の男性たちに担がれた神輿(みこし)が下り始めた。

 京都府与謝野町弓木。この弓木区の神輿は城山山頂の神輿蔵に収められてきた。巡行のために急斜面を下ろす「神輿下ろし」が呼び物だ。

 この神輿下ろしが今年、最後を迎えた。理由は人手不足と高齢化。弓木祭り保存会の発起人で、区長の糸井康裕さん(63)は無念さを隠せない。1899(明治32)年生まれの祖父が子どものころには、すでにあったというから、100年以上は続いてきた。

 かつて、神輿を担ぐのは主に地区の青年団員だった。40歳になったら、神輿担ぎからは「引退」。それでも十分に人が足りた。それが今では「60歳でも、5分でも10分でも肩を入れて(担いで)もらいたい」状態になったと糸井さん。「大きなけがをせんうちに」神輿下ろしの廃止を提案した。

 祭り好きを自負する糸井さんにはつらい決断だったが、何人もの地区の先輩に意見を聞いて回った。「そんな寂しいことを言うなよ」という人もいたが、ほとんどの人は理解を示してくれた。

 あわせて糸井さんは祭りの保存会を発足させた。祭りに携わるのは男性たちばかりではないと、女性にも入ってもらった。コロナ禍で祭りが開かれなかったこともあり、「祭りをやるぞ」という気持ちや一体感の醸成が必要と思ったからだ。神輿下ろしは6年ぶりになる。

 これまで、担ぎ手らは朝3時に神輿蔵前に集まり、4時から神輿を下ろした。今年は多くの人に見てもらおうと、6時からに遅らせた。

 担ぎ手の確保には、弓木神輿実行委員長の大槻喜宏さん(51)ら実行委員が奔走した。神輿を担いだことがなかったり、経験が浅かったりする区内の若手30人ほどに声をかけた。100人ほどが集まった。

 前日までの雨で斜面は滑りやすい。大槻さんの「ヨーイサー」のかけ声に、ほかの男衆が「ヨーイサー」と神輿を下ろした。その声にあわせて、1歩ずつ、1歩ずつ。

 斜面では神輿の水平を保つため、男衆は前方にとりつけた担ぎ棒だけ担ぐ。足を滑らせて落ちていかないよう、足首あたりに手を添える「足持ち」という役もいる。足持ちは自分も滑らないように後ろ向きで下りていく。

 神輿後方に2本の綱が延び、万が一にも神輿が転げ落ちていかないよう、主に年配の男衆が握った。担ぎ手の中には隣の区に住む山添藤真町長の姿もあった。

 神輿は30分ほどかけて、住民が見守るふもとに着いた。男衆から拍手が起きた。糸井さんも大槻さんも「感無量」。さらに大槻さんは「けがも事故もなく終えられたのがうれしい」、糸井さんは「6年ぶりとブランクがあったが、区民のパワーを見せてもらった」と話した。

 神輿は弓木公民館横の消防団倉庫だった建物に収蔵される。(滝川直広)

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