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「パチンコ王国・名古屋」は発祥の地ではない? ルーツをたどってみた その1【企画・NAGOYA発】

2024年4月28日 07時00分

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◇第28回「パチンコの発祥は名古屋?」
 名古屋市、愛知県は全国屈指のパチンコ王国と呼ばれ、時に「発祥の地」と呼ばれることもある。ただし、業界の識者や文献を探ると実際はそうではないといわれている。それではパチンコのルーツはどこにあるのか? 名古屋は業界の歴史をひもとく上では重要な位置付けにあるのは間違いないようだが―。(鶴田真也)

昭和50年代のパチンコホールの店内


 日本で最初にパチンコ店の営業許可を得たのが名古屋市の業者だったというのが通説だ。
 1930(昭和5)年2月12日に名古屋市の「平野はまの」という人物が愛知県警保安課に同市中区門前町4丁目(現・同区大須2丁目)での遊技場営業を届け出て「平野パチンコ店」として開業したという。大須観音に近い繁華街で、営業時間は午後8~12時と決められていた。
 ただし、その1年前の29年に大阪府、京都府で「自動球戯機」の出店が許可された事例があり、大阪など関西地方で温泉地や海水浴場など行楽地や、神社・仏閣などの縁日での露店営業の場でパチンコ台が設置されていたという。
 千葉県旭市にあるパチンコ博物館の牧野哲也館長は「日本での発祥は関西と考えてまず間違いはない。が、日本にはパチンコの歴史に関する史料が少なく、今後の研究次第では新たな史料が見つかる可能性もある」としている。
 パチンコ台の原型は英国で誕生したとされる縦置きの「ウオールマシン」「マシン・ア・スー」とされ、手打ちのハンドルで球を打ち出す形式で共通点が多い。『パチンコ歴史事典』(パチンコ必勝ガイド編)によると、日本には大正末期に大阪の輸入業者が米国から欧州製遊技機5台程度を輸入したとの記録が残っている。
 それではなぜ名古屋が「パチンコ王国」といわれるようになったのか。昭和初期は「一銭パチンコ」と呼ばれる台が主流で、投入口に1銭銅貨を入れると玉が出て、打った玉が入賞すると1銭銅貨あるいはメダルが払い出される仕組み。射幸心をあおっていたこともあり、1932年に大阪府警から禁止令が出されたのを皮切りに全国的に取り締まりが厳しくなった。
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