「ノー・モア」山口仙二さん演説 若者が朗読 原爆青年乙女の会 集会

山口仙二さん(右奥)の国連演説を「今の時代にもう一度読み直してほしい」と語る横山さん=長崎市役所

 長崎で被爆した故山口仙二さん(2013年死去)が42年前、被爆者として初めて国連で演説した原稿の全文が、核危機が高まる今の時代に読み返されることになった。今年、直筆原稿が確認されたのをきっかけに、山口さんらが創設した被爆者団体「長崎原爆青年乙女の会」が19日に長崎市内で開く集会で高校生が朗読する。同会は「仙ちゃんや私たち被爆者の思いが込められた演説を、もう一度広げたい」と願う。
 山口さんは1982年の国連演説で「ノー・モア」のフレーズで核兵器廃絶や反戦を訴えた。当時の原稿を、研究者グループが同市岡町の長崎原爆被災者協議会(長崎被災協)内で発見。本紙の調査により、原稿は山口さんの直筆で、国連で読み上げられた実物の可能性が高いと確認した(2月1~3日付)。

 直筆原稿の“発掘”を受け、青年乙女の会は集会での活用を決めた。背景にはウクライナや中東の情勢悪化がある。核保有国のロシアやイスラエルが核使用の威嚇を繰り返し、「長崎を最後の被爆地に」との願いに逆行する動きが続く。

山口さん直筆の国連演説原稿。目撃した爆心地の惨状を語る部分には「ゆっくり」と注釈が書き込まれている

 山口さんと親交があった同会事務局の横山照子さん(82)は「核で威嚇し、核で世界を動かそうとする状況。仙ちゃんが演説した42年前と今の情勢は情けないほど変わらない」と憤る。

 山口さんは国連演説で、目撃した原子野の惨状や生涯続く放射線被害、差別の苦しさなどを訴えた。横山さんは「原爆はあの時(被爆当時)だけでなく、未来までもぎとってしまう恐ろしいものだと、若者に伝えつないでいきたい」と明かす。原稿は今後もさまざまな場面で「輪読」などの活用方法を模索するという。

 一方で、被爆者の高齢化や団体の衰退は進む。青年乙女の会は56年、当時10~20代前後の被爆者が結成し、長崎被災協の発足などに通じる被爆者運動の「源流」とされる。一時は100人を超す会員がいた記録もあるが、現在は県外在住者や寝たきりの人も含めて約20人に減少。それでも2年前から同会の記念碑前(同市平野町)で年1回の集会を始めた。核兵器廃絶運動への思いを引き継ごうと、被爆2世や若者らも協力している。
 3回目の今年は、5月19日午前10時半から開く(雨天時は長崎被災協)。山口さんの国連演説は長崎南山高演劇部が朗読。直筆原稿が見つかった経緯を、長崎総合科学大客員研究員の木永勝也氏が説明する。

© 株式会社長崎新聞社