5月13日はジャンボ鶴田さんの命日 病に倒れた最強の男の最高の人生とは

【柴田惣一のプロレス現在過去未来】


<写真:ジャンボ鶴田23回忌追善セレモニー>

5月13日は2000年にフィリピン・マニラで亡くなったジャンボ鶴田の命日。肝臓移植手術中の悲劇だった。

鶴田といえば、今でも「最強説」が根強い。バスケット、アマチュアレスリングで鍛え上げた体幹、人並み外れたスタミナ、図抜けた運動能力を生かしたスケールの大きく正確で美しい技…何より190センチを優に超えた長身とバランスのとれた身体が魅力。2メートル超の馬場とタッグを組むことが多く、その大きさがなかなか伝わりにくかったが、巨漢の外国人選手と対峙しても見劣りしなかった。

1972年にミュンヘン五輪出場の金看板をひっさげ全日本プロレス入り。米テキサス州アマリロのファンクス道場で修業し、すぐにスター街道を駆け上がる。ルー・テーズからヘソで投げるバックドロップも伝授されている。

ジャック・ブリスコ、ミル・マスカラス、ハリー・レイス、スタン・ハンセンら強豪外国人選手や、長州力、天龍源一郎、三沢光晴ら日本人レスラーと白熱のバトルを展開し、ファンを熱狂させた。

タイトル歴も素晴らしく、いくつものベルトを手にしている。AWA世界ヘビー級王者として日米両国を股にかけてツアーを敢行。初代三冠ヘビー級王座も獲得。今年は宮原健斗が2度目の制覇を飾った“春の本場所”チャンピオン・カーニバルも2度、優勝している。

まさに絶対エースで、激しい消耗戦になっても常に余裕があった。試合直後にコメントを出し終えると、おもむろにスクワット運動を始めたことがある。「まだまだだよ」とニヤリ。まさに疲れ知らず。「この人のスタミナは無尽蔵だな」と驚かされ半ばあきれたものだ。

若いころから人生設計をしっかり立てていた。「レスラー人生は短い、怪我などのリスクもある」と、引退後の生活プランをきちんと描いていた。無駄遣いはしない。不動産投資なども手掛けていた。

「辞めた後の人生も楽しくね」とウインク。宵越しの金を持たない、とばかり豪放磊落な猛者という当時のレスラー像とは一線を引いていた。燃費が良いディーゼルエンジンの外国車を愛用していた。高級料理の食事会に声をかけてくれる時は、スポンサーと一緒のことが多かった。もちろん気前が悪いわけではなかったが、しっかりした倹約家だった。

「全日本プロレスに就職します」という彼の生き方に、戸惑いを覚える昭和のファンもいたが、超一流レスラーとして大活躍し、引退後には大学院に進学。大学教授を目指してアメリカに留学し、実際に大学で教鞭をとった彼の人生は輝いている。

病に倒れなかったら、どんな人生だったのだろうか。幅広い人たちと交流し、国際的な感覚もあった鶴田が、コミッショナー的な立場に就いていたら、日本プロレス界の今はまた違っていたかもしれない。

「最高」のレスラーといえば猪木というのが多数派だろう。「最強」となると鶴田の名前もあがるのではないだろうか。屈託のないジャンボスマイルが懐かしい。(文中敬称略)


<写真:ジャンボ鶴田23回忌追善セレモニー>

▼柴田惣一のプロレス現在過去未来(バックナンバー)
https://proresu-today.com/archives/author/shibata-souichi/

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