〈欲しがりません勝つまでは〉―これは広く知られた戦時中のスローガン。開戦から1年を迎えた昭和17(1942)年、「国民決意の標語」として、約32万点の応募の中から選ばれた。作者は小学5年の女の子だった◆いまをじっと我慢し、苦難に耐えているいたいけな少女。そんな道具立ても大衆の共感を呼んだ一因だったのかもしれない。ところが実は、父親が娘の名前を使って応募していたと分かったのは、敗戦で国民がすべてを失った後である◆ひとの心は「誰が語ったか」に左右されやすい。SNSでは著名人になりすました投資詐欺が横行している。人気SNSを運営するネット企業も対策には及び腰らしい。投資が手軽になり、年金不安や景気低迷が続くいま、「欲しがりません」とは言えない弱さの足元を見られている◆「発信力」がもてはやされ、一方的に語られた言葉が簡単に手に入る時代。〈発信することの大事さが強調されればされるほど、逆に、いつかすっかり衰えてきているように思えるのが、「受信する」ちからです〉。詩人長田弘さんの指摘である。他者が何を語り、何を求めているか、しっかり受け止めているだろうか、と◆〈うつむく時間が増えています。〉―これは先日見かけた新聞広告。スマホから顔を上げ、耳をすます。そんな共感が広がるといい。(桑)

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