唯一無二の輝きを放つ42歳のアスリート。これまでのパラリンピック競技大会では異次元の存在感を見せてきた。

トップアスリートがポテンシャルを十分に発揮できるように栄養を切り口にしたコンディショングサポートを20年以上に渡り続けてきた味の素のビクトリープロジェクト®のサポートを受け、さらなる挑戦に向かうパラ陸上界の第一人者である鉄人に今とこれからを聞いた。

 陸上競技用のトラックでカーボン製のブレードを装着し、軽やかで滑らかに動く。そのダイナミックな走りは片足がないことを全く感じさせない――。
「足を切断してからは、グッと好きになりましたね、自分のことを。足がなくなったからこそ速く走れる、なくなったからこそ遠くへ跳べるようになりました」と大腿義足の鉄人とも呼ばれる山本篤は話した。
 日本パラアスリート界のパイオニアである山本は、小学校では野球チームに入り、中学、高校ではバレー部に所属。しかし高校2年生の春休み、バイク事故により左足切断。「一番ショックだったのは鏡に映った自分を客観的に見た時でした。ああやっぱりないんだなと思いました」。入院していた病室で1日中泣いた。それでも落ち込んだのはその1日だけ。次の日からは前を向きリハビリを始める。
「これもできない、あれもできないという負のスパイラルに陥ってしまって、僕は義足で何が出来るのだろうって思いました」

 そして高校卒業後に競技用義足と出会い、19歳の夏に大きな転機が訪れる。
「競技用義足を使わせてもらう機会があり、履いた瞬間にめちゃくちゃ跳ねる感じがして、フワフワして、いつもにはない感覚で、その時に、これを続けたいと思いました」

 山本は、本格的に競技に打ち込むため、2004年に大阪体育大学体育学部に進学。持ち前の器用さやチャレンジスピリッツで競技用義足のバネを自分のものとし、自身の競技スタイルを作り上げ技術を磨くと瞬く間に頭角を現していった。
2008年に北京で開催されたパラリンピック競技大会の走り幅跳びでは日本人義足選手として初となるメダルを獲得。以降3大会連続出場。2016年のリオ大会では走り幅跳びで銀メダルを、4×100リレーでは銅メダルを獲得した。また冬季パラリンピック競技大会のスノーボードへの挑戦をきっかけに、2017年よりプロに転向すると2018年の平昌冬季大会にスノーボードで出場を果たした。そして39歳で出場した東京2020大会の走り幅跳びでは自己ベストを更新し4位に入賞した。

 数々の栄光を積み上げたジャンパーは自分のストーリーに満足などはしていない。さらなる挑戦へと歩みを止めることはなく、自分の限界値をまだまだ先に見ており、今夏のパリ大会を目標に、日々、鍛錬を重ねる。それも“勝てる選手”であり続けることでパラスポーツの知名度を向上させたいという思いもあってのことだ。
山本は気負いもなく、自然体でさらりと言う。
「夏のパリパラリンピックに出場すれば5回目。出るからにはメダルを目指したい。出るだけでは意味がないと思っています。メダルを取れるような準備をしてチャレンジしていきたいと思っています」

■「カッコイイ姿を色々な人に見てもらいたい」

 競技用義足の素材は主にカーボンファイバーが使用され地面を蹴った時に反発力が生まれ、それが推進力となる。“より速く、より高く、より遠くへ”とブレードを使いこなす華麗なテクニックとダイナミックなジャンプは見ている者も魅了する。
山本は「競技用義足を履くとワクワクします」と言う。そして「義足とマッチングし、地面についた後は、義足がたわんで伸びる感覚です。反発するタイミングを自分で感じて、それが上手く走りにつながります。遠くへ跳べるようになるには技術を要しますが、それを追及するのが楽しいです」と笑顔で語った。

彼の全力疾走する姿に憧れ、多くの若手パラアスリート達が技術の習得や刺激を求め集ってくる。後輩たちは山本の人柄についてこう語ってくれた。
リオと東京で2大会連続パラリンピックに出場した前川楓は「陸上競技もそうですけど、人間としてすごく尊敬していて、自分が溜めてきた知識や技術を分け隔てなく、みんなに伝えてくれます。かっこいいですね」。そして期待の若手ホープである又吉康十は「義足での幅跳びになると篤さん以上の人は日本にいません。学ぶことしかありませんし、すべてが自分のプラスになっています」とコメント。

磨き上げてきた技術と感覚を惜しげもなく後進に伝授している。「自分がやってきたことを伝えたいっていう思いがあるので、一緒にやることで、彼ら彼女らがどんどん強くなるっていうのは嬉しいですね」(山本)。

 お互いがお互いを高め合い、日本のパラ陸上の底上げを図っていく狙いもある。またその根底には、社会が持つ障がいという言葉のイメージを変えていきたいという思いもある。
「僕を含めて、パラアスリートたちが活躍することで、知ってもらうことが大切だと思っています。カッコイイ姿を色々な人に見てもらいたい。それが偏見の話もそうかもしれないし、世の中の認識を変えるきっかけになると思っています。その意味ではカッコ良くあり続けたいです」

自分の活躍だけではなく、多くのパラアスリートがスポットライトを浴びることによって成し遂げられることや世の中の認識を少しずつ変えていくこと、スポーツの力を信じる山本のチャレンジの一つでもある。

 トップアスリートとして、また父としても多忙な日々を過ごす山本が何よりも大切にしている時間がある。それはオフ。速く遠くへと走る技術を追及し続けるオンを過ごす彼のリフレッシュ方法は、休日に家族で公園に出かけるなど妻・幸子さんや3人の子ども達と共に過ごす時間だ。競技生活22年のレジェンドも家に帰れば普通のお父さん。家族との団らんが一番のリラックスタイムで山本にとって何よりの息抜きになる。幼い子どもたちは走っているパパの姿が大好きだという。「カッコイイ姿を色々な人に見てもらいたい」と口にするが、とりわけ大事にしているのが子ども達への強いメッセージでもある。
「障がいを持っている人を見た時に、『可哀想だな』っていうことをなくしたい。『子どもにも足がないけど義足を付けたら速く走れるよ、遠くに飛べるよっていうことを見せたりして、障がいがあることが不幸ではないんだよ』と伝えたいですね。出来ないことはあるけど、すごいなって思えるような部分が出てきたら、どんな人とでも対等に接することが出来るようになると思うんですよね。そういう考え方を子どもの頃から関わることで変わっていって欲しい」

■最高のパフォーマンスを支える味の素

 あと一歩、0.1秒・・・・。紙一重の差が勝敗を決める世界最高峰の舞台で戦うアスリートが最高のパフォーマンスを発揮するためには、コンディション調整が重要であることは言うまでもない。この春、42歳を迎えた山本も例外ではなく、陸上競技のアスリートとしてはかなり成熟した年齢である。
22年間ものアスリート生活を支えているのは、山本の自己管理と妻・幸子さんの食事面でのサポートだ。食卓には3食バランスよく、色々な食材を取り入れたメニューが並ぶ。ちなみに山本が好きな料理は魚の煮付けだと言う。
「体が若い時とは違うからこそ、何を食べたら回復をするのか、そしてバランス良く食べることなどを気にして食べています」

 そんな彼にとって、もう一つ大きな味方になっているのが味の素株式会社である。2003年から(公財)日本オリンピック委員会と共同で、このプロジェクトを推進。日本代表選手および候補選手に対し、食とアミノ酸を通じたコンディショニングサポートを行い、パラスポーツに対しては2016年のリオ大会から本格的なサポートを開始した。
30代、40代、50代の選手がトップを目指し、ピークを作っていくのは私たちが想像する以上に大変な作業である。コンディションの維持には食事の回数を増やし、補食を取るなど様々な工夫を重ねる必要があるのだ。味の素は、これまで蓄積された多くのデータをもとに研究を重ね、そのアスリートにとって最善な栄養サポートを提案。ビクトリープロジェクト®︎のメンバーである蘆名真平さんは、山本が最大限のパフォーマンスを発揮するためのコンディション作りのアドバイスをする。
「アミノ酸のバランスの研究をしていることで体内のアミノ酸の量は把握できます。瞬発的な運動ではなくて、最後の5メートル、10メートルのスピードを落とさずに走りきりたいですね。コンディションを整えることで、怪我の予防やパフォーマンスを維持することが、山本選手に必要なところになってくると思います」

 2018年から山本も“食とアミノ酸”のサポートを受けているが、日ごろの食事にプラスアルファで必要になってくる栄養素や情報も知識として吸収している。プロフェッショナルによる力強い栄養サポートもあり、心身ともにベストなコンディションで好パフォーマンスを体現する。山本は「運動時の『アミノバイタル®』は欠かせない。」と話す。
 次の目標とするパリパラリンピックまで半年を切った。年齢的にはラストチャンスとなるかもしれないからこそ大舞台への意気込みは強い。山本は栄養サポートを受けながらアスリートとして最もこだわるメダル獲得を目指し進んでいく。

■味の素の挑戦 ~DE&I社会の実現へ~

 山本を栄養面で最大限のバックアップをしている味の素。味の素はなぜ山本をはじめとしたパラアスリートを支援しているのだろうか。蘆名さんは、その理由を次のように語る。「味の素がパラアスリートに対してサポートをするのは、我々が企業として重要視しているDE&I(ダイバーシティ・エクイティ&インクルージョン)の考え方があるからです。性別や年齢、国籍、そして障がいの有無に関わらず、誰もが生き生きと生活でき、一人ひとりの個性が認められる共生社会を創っていきたい。様々な身体状況でも自分自身の限界にチャレンジしているパラアスリートの皆様は、まさに“輝ける個性”をお持ちだと思います。彼らの多様な個性がもっともっと輝くように、全力でサポートしたい」
 味の素は山本のみならず、その他パラ競技での日本代表選手のサポート、個別競技団体では日本パラ水泳連盟、日本ブラインドサッカー協会、日本車いすバスケットボール連盟とも契約し、幅広くパラスポーツをサポートしている。
 2016年のリオ大会、続く東京2020大会では、味の素の社員が日本選手団に帯同し、出場する日本代表選手がベストコンディションで100%の力を発揮できるよう、栄養バランスのよい食事の提案や、製品提供なども行った。2024年のパリ大会でも同等、またはそれ以上のサポートを考えているという。
 蘆名さんはこう続ける。「海外の大会ではより一層選手の栄養管理は難しくなります」。慣れない現地での食事環境は選手たちのコンディション作りに大きく影響する。そこで活躍するのが味の素の製品だ。味の素は、2016年のリオ大会を含めた海外の大会では1トン以上の製品を現地に運び提供している。杭州2022アジアパラ競技大会では、慣れない食事環境の対策として、食事前や練習後などに“だし湯”を飲む「“うま味”の活用による選手の『おいしく食べる』をサポート。
この他にも日本の味を感じてもらうことで余計なストレスの軽減やパフォーマンスの向上につなげ、選手からは、「ホッとする」、「日本の味がする」、「おいしい」などといった言葉が聞かれたとのこと。
味の素のサポートを受けたアスリートたちは実力を存分に発揮、合計150個ものメダルを獲得した。

杭州2022アジアパラ競技大会でだし湯を飲むアスリートたち


 アスリートの中でしっかりと浸透している味の素のサポート。しかし、蘆名さんはさらに高い視座を持っている。「日本におけるDE&Iやパラスポーツへの認知や関心は、諸外国と比べるとまだまだ低い。特にDE&I先進国と言われているブラジルと比べると差は歴然で、まだまだ自分たちの活動は足りないと思っています。今夏、我々が支援するパラアスリートがパリで躍動していただくことで、障がいのあるないに関わらずあらゆる人が何かにチャレンジするきっかけになるといいなと思っていますし、世の中にもっとDE&Iの概念を浸透させていきたい」
現状に満足することなくより高い目標に向かう姿勢はまさにアスリートそのものだ。

「挑戦を続けることが人生」をモットーとして、どんな環境にいても、恐れずに様々なチャレンジをすることの大切さを教えてくれた山本。“輝く個性”を持つパラアスリートの支援を通じて「DE&I社会の実現」というチャレンジをしている味の素。この2者が“切り拓く未来”はどんなものになるのか、今後も注目していきたい。

提供:味の素株式会社